20 、サポーター殺人事件(2)


個性豊かな受講者の自己紹介が進むが

   



「それで、どうなったの?」という皆の無言の声に、くら子も笑いながら慶子に続きを促し

た。

「うるさい夫に、片付け方を習って仕事にすればお金になるし、一挙両得だと言ったんで

す。すると夫はそれならすぐに行けと言うんですよ。あんなにゲンキンな男とは思いもしま

せんでした。だからわたしは夫を見返してやるためにサポーターになって、バンバン稼い

で、夫に仕事もせずに家にいるなら家事をやれと言ってやりたいのです。だからがんばりま

す。おわり」

 大きな拍手に、慶子の頬は赤くなった。

くら子は自己紹介で、後に続く者のために付け加えた。

「誤解されないように申しておきますが、これは自己紹介であって告白大会ではありません

ので」

 もっともだとうなずく者、笑いをかみ殺す者もいた。

「個人的なことを何もかも話す必要はありません。かといって何を話すかは皆さんの自由で

すので、ご自分をアピールする場だと思ってください。それからサポーターになってバンバ

ン稼げるかどうかは保証できません。これは皆さんの活動次第です。日々お互いに成長して

いけるように願っております」
 





 5番目は桑野光代だった。

「わたしはおひとりさまで、長年某住宅メーカーでインテリアコーディネーターをしてきま

した。しかし経営が悪化し、社長が変わると組織も様変わりして、いわゆる肩たたきという

か仕事を回してもらえなくなり退職しました。フリーで仕事をしようかとも考えましたがこ

のご時世ですし、アラ還のわたしにはもうそんなエネルギーは残っていないと思いました。

職安というと古いですね。ハローワークに通いながら、もう一度これからの生き方を考えよ

うと思った時に「基礎講座」のチラシがポストに入っていたので、冷やかしで参加してみる

気になりました。はじめ自分はインテリアの専門家だから他の方々とは違うというプライド

が邪魔をして打ち解けられませんでした。何百件という家の収納のプランニングをしました

し、素人と一緒に今さら片付けを習う? などという気持ちもありました」

会場は静まり返った。

「それに白状すると、たかが片付けじゃないですか。それなのにこんな講座をして、どうい

う人間がしているのか見てやろうという、ひねくれた好奇心が大きかったと思います。だか

らいつも一番後ろの席で腕を組んで、そんな事言われなくても知ってるわよと、バカにして

冷やかに見ていました。

「基礎講座」でわかったのは、ものの片付け方の前に心の片付けをするというか、頭の整理

が必要なのだと思いました。次のワークショップでは、専門的な知識より自分のことを見つ

めなおす機会なのだと気付き、また皆さんが問題を抱えながらも前向きに進もうとしておら

れる姿勢に、わたしも新しい仕事にもう一度挑戦してみたいと思いました」

光代は八重歯を見せて微笑んだ。

「これって、ミイラ取りがミイラになったということですかねえ」

光代の問いに数人がそうだそうだと答え、拍手と共に光代は一番前の席に戻った。

6番目は司法書士の村上弘江だった。

「わたくしはもう20年ほどこの地域で司法書士をしております。最近は成年後見の依頼が多

く走り回っています。先日もうるさい訪問販売につきまとわれているおばあちゃんと一緒に

警察に行きました。業者がおばあちゃんにいやがらせをするんです。夜中に植木鉢を割った

り、そりゃあもう悪質で」

 村上は早口で、高齢者の被害の話を喋り続ける。

K社のどの講座でも、講座のはじめに受講者は名札に名前を書く。この時、各自が呼ばれたい

名前を書くことになっている。ニックネームでも屋号でも俳号でもよいが、呼ばれても自分

だと気づかない名前はやめてもらうように呼びかけている。なんでも良いとはいえ、男性は

ほとんど姓を書き女性は名前を書く。村上のように女性で姓を書くのは、長年仕事でそう呼

ばれ、プライベートと区別しているからだろう。それまでの勢いと違い、村上の声が小さく

なったのは自分の片付かない話を始めた時だった。

司法書士の受験仲間2人と事務所を立ち上げたが、銀行や不動産関係の法人関係の仕事を中心

とする2人と、個人を相手に仕事をしたいと思っていた村上では次第に意見の食い違いが多く

なった。

 3年後、2人と袂を分かち自宅のマンションで仕事をすることにした。これは村上がバツ一

で、一人暮らしだからできたことである。

独立と言えば聞こえは良いが、事務所を構えられないので仕事の書類がリビング、ダイニン

グを占領するようになった。パートで事務の手伝いをしてくれている女性がある日村上に、

これでは書類を探すのに時間がかかり、仕事ができません!と悲鳴を上げた。しかし業者に

頼んで大事な書類を人目にさらすわけにはいかない。プライドもある。

ということで自分で片付けるのはどうすればよいか悩み、インターネットで「わくわく片づ

け講座」を知り参加したのである。

 成年後見をしている高齢者が、多くのものを持っていることは承知していたが、ここで村

上は成年後見のついでに、荷物のアドバイスもしてみようと考えたのである。

 茶色のスーツに白いブラウスの村上が自己紹介を終えようとしたところへ、おずおずと手

が挙がった。
 





「あの、セ‐ネンコーケンて、なんでしょうか」

質問したのは、佐伯弘憲だった。

席へ戻りかけていた村上がくら子に同意を得て、ホワイトボードの前に戻った。

くわしく説明すると長くなりますので、簡単にしておきますと前置きして、村上はホワイト

ボードに「成年後見制度」と書いた。

「認知症などの判断力が不十分な方のために、不動産や預貯金の管理、また身の回りの世話

や、介護についての契約などを本人に代わって支援する法的な制度です。新聞などにも最近

はよく取り上げられております。詳しいことはきちんとお調べいただいた方がよいかと思い

ます」

村上の説明に、佐伯がありがとうございましたと軽く頭を下げた。

 7番目は仙波克枝だった。

「わたしは5年前に愛する夫を亡くしまして、悲しみのあまり遺品の整理ができなかったもの

で、基礎講座とワークショップを受講しました。そこでようやく過去と決別し、夫が天国で

安らかに眠っている、もうこの世にはいない、わたしの呼びかけに応えてくれないのだと納

得できました。そこで夫のものは子どもたちも欲しがりませんので、何もかもすべて一切合

財処分しました」

 桑野光代が、それはまあ…と思わず手で口をふさいだ。

思い切りがいいと言えばいいが、そこまではやり過ぎではないかと内心考えている者も少な

くなかった。克枝はまるで喪服のような黒いスーツで、首に一連の真珠をしている。葬式の

帰りだといってもおかしくない格好だった。

「来月の15日が夫の祥月命日ですのでそれまでは喪に服し、その後は自分の人生を生きよう

と思っています」

そこまでしなくても、とつぶやいた元動物探偵の陸奥慶子を克枝はキッとにらんで、すぐに

視線をそらせた。男性は喪服の女性に弱いというが、男たちはおおむね克枝に同情的で、5年

も夫の喪に服した貞女だと感心していたが女たちは冷めていた。5年も夫のことを想い、嘆

き、悲しんでいた女が、その夫のものを一度に何もかも処分するなんておかしい。そのう

え、いくら愛し合った夫婦でも残された妻には日々の生活があるのだから、亡くなった夫の

ことばかり考えてはいられないはずだ。どうもうさんくさい、怪しい、これが大方の女たち

の見方だった。

まろみはくら子にそっとささやいた。あの、克枝さんを見たことがあるんですけど。

くら子は小声で、あとでと遮った。

 女たちの冷ややかな視線を感じたのか、克枝は続けた。

「5年も喪服を着ているのをおかしいと思っておられる方もあるようですが。確かにご近所の

方でもそうおっしゃる方もあります。でも…わたし」

 克枝は白いスワトーのハンカチで目がしらをおさえた。

 まろみの、時間ですの声と共にチリンが鳴ると、皆がほっとした。

男たちは女の涙に弱く、女たちは見え透いた芝居にうんざりしていた。

 克枝はハンカチを握りしめて首をかしげ、ため息をついた。

「時間になりましたが、これだけは言わせてもらいます。夫の喪に服すのは妻として当たり

前のことです。あのイギリスのヴィクトリア女王様は愛するアルバート公が無くなってから

ご自分が亡くなるまで何十年も喪に服しておられました。わたしはヴィクトリア女王様をお

手本に生きてきたのです。これでおわかりいただけたでしょう」

 ヴィクトリア女王様? それは誰? 今の英国はエリザベス女王だろう。いったい何の

話? この人頭がおかしいのじゃないの。誰も克枝の話を理解していなかった。

 克枝の話は19世紀のヴィクトリア時代後期のことで、この時代は社会規範を重んじた、つ

まり建前の時代ともされ、死者を忘れない、あるいは忘れないふりをすることが重要なこと

とされていた。克枝はヴィクトリア女王のように胸を張って席に戻った。

隣の大山が、いやあごりっぱでしたよと声をかけた。

 まろみは我慢できずにくら子にささやいた。この前、カラオケボックスで克枝さんを見か

けたんです。真っ赤なワンピースで若い男の人と二人連れでした。

まろみちゃん、今はダメよとくら子はまろみの口に蓋をした。
 





 次は車いすの町田栄津だった。

「はじめに、わたしが車いすに乗っている理由をお話ししておきます。なぜかと言えば、皆

さん悪意がなくても必ず、どうして? どこが悪いの? と聞かれますので、ここでお話し

しておけば何回もお話しする手間が省けますので…」

 膝に手を置いて栄津はゆっくり話し始めた。

「こう見えても、娘時代はお転婆でオートバイに乗っておりましたが、事故で下半身が動か

なくなりました。とはいえ頭は人並みですし、腕力もありますので皆さんが想像されるほど

不自由な生活はしていないと思います。今日も自分で車を運転してきました。これでわたし

の車いすのことはご理解いただけたでしょうか」

 ほとんどが黙ってうなずいていた。

「高校を卒業して、母の勧めで看護師の学校に入学して3年間看護師をしましたが、仕事はき

ついし病人や年寄り相手の仕事がいやになり辞めてモデルになりました。といってもデパー

トのチラシや広告のモデルですけど、ちやほやされて楽しかった。その後オーディションを

受けて東京のモデルクラブに移ることになり、地元の友達と離れるので最後のツーリングに

出かけて事故に遭いました。夢はこなごなにくだけて、また病院へ逆戻り。

それもベッドの上です。そして自分が患者になって、ようやく看護師の仕事がどういうもの

かわかったけれど遅かった。その後何年も家に閉じこもり、死ぬことばかり考えていまし

た。

 ある日、以前勤めていた病院の婦長さんがみえて、今は有料老人ホームで働いているけれ

どあなたも来ないかと誘われました。看護師はできないけれど相談員ならできるでしょっ

て」

 栄津はうつむき加減の顔を上げた。

「はじめは、婦長がみじめな私をからかいに来たのかと思いました。退職して何年もたって

いるのに、覚えていてくれる人がいるなんて信じられませんでした。婦長、いえ、元婦長と

素直に接することができるまでに1年かかりました。次の問題は福祉の知識です。看護師とし

て医療の知識はありましたが、福祉関係の知識はなかったので通信教育で勉強をして資格を

取って、ようやく今のホームで働けるようになりました。最後にこの講座を受講した理由で

す。うちのホームでは入所するのに何年かお待ちいただかないといけないので、その間に荷

物の整理をしてもらいたいと思ったからです。単に、入所するのに荷物を減らして下さいと

言っても難しいので、私が未来の入所者に片付けのサポートをしたいと思って参加しまし

た。よろしくお願いします」

 大きな拍手が起こり、栄津は照れながらぺこりと頭を下げた。

 少人数の講座でもあるし、通路はゆったりしているので栄津はスムーズに席に戻った。

 次は佐伯弘憲だった。

ホワイトボードに大きく自分の名前を書いて一礼した。

「名前はさえき、ひろかねです。しかし子どもの頃からコーケン、コーケンと呼ばれており

まして、今ではイチローと同じようにただのコーケンですので、そう呼んでいただきたいと

思います。それで先ほどのように、セーネンコーケンといわれますと、自分が青年かと思っ

てしまいまして」

 期待した笑いが起こらず、おやじギャクですみませんとコーケンは照れくさそうに謝り、

ひげの伸びかけた顎に手をやった。

「そのセーネンコーケンが新聞に良く出てるということでしたが、わたしは新聞を読まない

し、テレビも見ないもので、近頃のことはなにもわからない浦島太郎状態です。つまらない

質問をしましてすみません」
 
 室内にこの男は何者だろうという空気が漂った。
 




 日に焼けた顔にぜい肉のないひきしまった体。かといってゴルフをしているようにも見え

ないし、農業か建築現場だろうか、それとも塀の中にいたのかと皆が勝手な想像をしてい

た。

「なぜ浦島太郎かといえば竜宮城に行っていた訳ではないのですが、電波の飛ばない山の中

で炭焼きをしていたからです。息子が山の中で、両親は街中に住んでという、普通とは逆の

パターンでして。長い間、親不孝をしていたのですが、母は腰が曲がりくの字になって歩い

ているし、父も右に傾いてひょこひょこと今にも転びそうで久しぶりに親の姿を見て愕然と

しました」

 それが片付け講座とどうつながるのだろうという疑問に応えるようにコーケンは続けた。

「もともと、大手広告代理店で営業をしていたのですが、バブルの時代にあまりにもじゃぶ

じゃぶと金が使えるので、もちろん交際費です。得意先の接待やなんだかやで、毎夜飲み歩

いて、ホステスからもちやほやされて舞い上がり、お決まりの浮気。これで離婚して、気が

ついた時にはバブルがはじけ、わたし自身もはじけてしまいました」

 人の不幸は蜜の味というが、浮気や離婚という話に注目が集まった。

「ようやく軌道に乗った炭焼きの仕事も大切ですが、親はもっと大切です。そこで山と街の

暮らしを半々にしようと思ったのですが、両親の家の中は大変なことになっていました。腰

が曲がった母の手の届く範囲にものを置こうとするので、床からソファの上からものだらけ

で、足の踏み場もないほどでした。父も足元がおぼつかない状態なので、重いものを持てま

せんし片付けもできない状態でした」 コーケンは、ゆっくり息を吸って、吐いた。

「1人になり、ものも家もすべて処分してリュック1つで炭焼きの小屋で暮らしていた私にと

ってはショックでした。かといって何かを捨てようとすると、父や母が待ったをかけるので

す」

 コーケンは苦笑しながら続けた。

「わたしが子どものころのがりがり氷を削るかき氷の機械まで取ってあるんです。そんなも

の誰が使います? 一事が万事で、わたしがものを捨てようとしていることがわかっている

ので両親はわたしを交代で見張るようになりました」

 母親と二人で暮らしている梅森は思い当たることがあるのか、ごくりと唾をのみこんだ。

「とにかく両親はわたしを1人にしないんですよ。わたしはなんとかすきを狙って、押入れ

のものを捨てようとするんですが、敵もさるもので、わたしがごみ袋に突っ込んでこっそり

捨てたものをまた黙って拾ってきましてねえ」

 時間ですとまろみが合図のちりんを鳴らすと、コーケンはこの続きはまた改めてと、さっ

さと席に戻った。

拍手はコーケンの話のように途中で浮いてしまった。

それで、どうなったの? と続きが聞きたいのに盛り上がったところで肩すかしを喰わされ

たようだ。さすが元広告代理店の営業だ、いいところで続きは次回にと引っ張るところはテ

レビの連続ドラマのようである。しかしこのまま、次の人が話をするのはやりにくいだろ



 くら子は立ち上がって、ここで休憩にしましょうと宣言した。
 





 まろみが水で喉を潤し、ふぅと息をついた。

「なんだか、濃い人たちばかりですねえ。圧倒されました」

「そうねえ、個性豊かでエネルギーがあふれているみたいね。だいたい何かする時に1期生の

人と言うのは、優秀でエネルギッシュな人が集まると言われているから」

「なぜですか」

「新しいということは、前例がないということでしょ。当然リスクも大きい、それでもチャ

レンジしてみようという人たちはやっぱりエネルギーがないとね」

「確かに、それでは2期生は?」

「だいたいパワーが落ちるわね。だって1期生は人の通ったことのない道を進もうとする人

たちで、2期生は開けた道のメリット・デメリットや安全を確認してその足跡をたどるから」

「なーるほど」

「だから、期待しているのよ」

「そうですね。ユニークな人ばかりですし…でも、あのヴィクトリア女王様は大うそつきで

すよ」

 まあまあ落ち着いてとくら子はまろみの腕をぽんと叩き、自己紹介を再開しましょうと立

ち上がった。

「松本未世です。区役所に勤めていましたが、昨年退職しました。嘱託で残る話もあったの

ですが、もう充分だと思いすっぱりやめました。実は夫も同様で、職場は違いましたが、一

緒に辞めました。2人で新しいことをしたいと思いました。わたしたちは自分で言うのもなん

ですが片付けは得意です。というかものを持たない主義ですので、片付ける必要がないとい

うか…例えばうちの冷蔵庫にはビールしか入っていません。夏には特別にスイカが入ります

が夫の好物なので、へへへ」
 
 村上弘江はくの字の眉を吊り上げて信じられないとつぶやいた。村上の言葉が聞こえたの

か未世は苦笑して続けた。

「皆さん、そうおっしゃいます。でも、これはわたしたちが結婚した時に決めたことです。

朝は近くの喫茶店へ行って二人で新聞を読みながらモーニングセットを食べます。昼は食

堂、夜は近所の居酒屋です。だから家で料理もしないし、買い物の必要も無い。冷蔵庫もビ

ールだけ。休みの日は2人でリュックを背負って山に登ります。子供も作らないと決めていま

した。このようなシンプルな生活を送ってきましたので掃除も楽でした」

 今の時代ならこのような夫婦がいてもおかしくない。しかし、30年以上も前から料理はし

ない、食事は外食、洗濯や掃除の家事は分担という暮らしを聞いて恐れ入ったという顔が多

かった。

 未世はそのような反応には慣れているので無視した。

「昼間も家にいるようになって、近所のおばあちゃんのうちに回覧板を持って行くと、まあ

ものの多いこと。というより、何があるのかわからないほどで保険証を探すのを手伝って欲

しいと言われて驚きました。定年まではご近所とのつきあいもほとんどなかったのですがこ

れはえらいことだと思いました。まさか自分の町内にゴミ屋敷予備軍がこんなにあるとは思

いませんでした」

 くら子は「ひきとりや」の健さんの話を思い出していた。おじいさんが以前手放した箪笥

や棚を返せと言ってきたと。やはり片付けは早めにしなければ手遅れになってしまう。未世

もこのことに気づいたようだ。

「退職して2人でどこかの山小屋で暮らそうかと思っていたのですが、まだ元気なうちに自分

たちにできることがあるのではないかと思うようになりました。2人で相談しているところに

『わくわく片付け講座』のチラシがポストに入っていました」

 くら子とまろみはまた顔を見合わせた。チラシの謎は深まるばかりだ。

「片付けが得意なわたしたちにとって、お金を出して片付けを習うということが不思議だっ

たのですが、片付けられないということはどういうことなのかを知るために参加しました。

この話をすると意外なことに、友人知人が皆興味があるというのです。緊急の問題ではない

けれど、気にはなっているという人がほとんどでした。そこでわたしは片付けの伝道師にな

ることに決めました。よろしくお願いします」

サポーター殺人事件(3)に続く

 





長い間放置していたこの話を読み返してみると、忘れていることも多く、当時はこんなこと

を考えていたのだなと思います。

今回の話に成年後見の話が出てきますが、先日(2019年2月16日)奈良県宇陀市の成年後見

シンポジウムで「転ばぬ先の老前整理」の講演をさせて頂きました。

少しは現実とつながってきたかなと思っています。




 









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