26 、片付け本を読んでも片付かない 

   

ダイエットと片付けと、悩みを抱えた校長先生はどうするか




 友人の元子と、ランチの約束をしていたまろみは駅への道を急いだ。スマホを忘れ、途中

で引き返し、遅くなったのである。40分遅れるとメールを送ったら「OK」と返信があっ

た。

 日曜の繁華街は人が多く、待ち合わせのデパートの前も人だかりがしていた。探してみた

が、見つからないので電話をかけた。

 近くで呼び出し音が鳴って、お互いが2メートルの距離にいることがわかった。

 10年ぶりに会った友人は別人のようで、道ですれちがってもわからなかっただろう。

「久しぶり、まろみは変わらないわねえ」

「ほんとに元子なの? きれいになった!」

まろみは元子の頭から足もとまでゆっくり視線を走らせた。

 今日はイタリアンが食べたいと、元子はまろみを引っ張って、足早に歩き始めた。

 生ハムとメロンの前菜に2種類のパスタ、デザートはカプチーノとパンナコッタを注文し

た。からすみのパスタと、菜の花と蛍イカのパスタを分け合いながら、まろみは一番気にな

っていたことを聞いた。

「どうやって、やせたの?」

「簡単よ。毎日何を食べたか記録して、栄養のバランスや量を調整したの。もちろん運動も

したけど」

「それで、やせられるの?」

「わたしが、その証拠でしょ」元子はつんと顎を上げた。

「確かに、でも何か特別な秘密があるのかと思ってさ」

まろみはフォークにパスタをぐるぐる巻きつけながらも、疑っている。

「体質でどうしてもやせられない人はいると思うけど、それを別にしたら、基本は本人が本

当にやせたいかどうかだと思う。といっても、今の若い子たちみたいなガリガリのモデル体

型はいただけないわね」

 ふーんと、まろみはパスタを口に運んだ。

「エステで脂肪を取ってもらうとか、そういう手もあるんじゃないの?」

「お金のある人はね。ただ、自分が努力しないでやせると元の木阿弥よ」

「わたしもね、いろいろ、なんとかダイエットの本を読んだことがあるけど…」

「そういう人が多いけど、読むだけじゃあダメなのよ。だって料理の本を何冊読んでも、作

らなければ食べられないし、料理の腕はあがらない、でしょ」

「確かに、ところで洋服は全部新しいのを買ったの?」

 まあねと、元子は口ごもって、時計を見た。

 ごめんまろみ、もう行かなくちゃと元子は手を合わせた。

「えっ、どうして?」

「彼と映画を見に行く約束があって…デザートまで食べられると思ってたけど…」

 せっかく久しぶりで会えたのに、というまろみに、デザートは全部あげると、元子は食事

代を置いて出て行った。遅刻したから自分が悪いけど、やっぱり友達より男なのねと、まろ

みは2人分のデザートを黙々と平らげた。

 やせたのは彼のせい? それとも、やせたからカレシができた? どちらが先? それが

問題だと思いながら、まろみはスプーンを置いた。
  




 翌朝、まろみが15分遅刻で出勤すると、珍しく応接コーナーに来客の気配があった。邪魔

をしないほうがよいと判断して、まろみはパソコンに向かった。

 パーテーションの向こうから漏れてくる声によると、相談は何冊も整理や片付けの本を読

んだが片付かないということだった。まろみは昨日の元子との会話を思い出した。

 ダイエットの本をたくさん読んでもやせられないと言ったのは自分だ。

結局、ダイエットと整理や片付けの言葉を置き換えれば同じことなのだ。

「わくわく片付け講座」でもくら子が、魔法の杖はないのだから、すっきりしたいと思った

ら自分が決断し、動かないと片付きませんよと言っているではないか。それに、続けること

が大切だとも。耳にタコができるほど聞いていたはずなのにと考えながら、無意識に机の脚

をつま先で蹴った。

 イタタという声に、くら子が応接コーナーから飛び出してきた。

「どうしたの? 何かあった?」

「いえ、なんでもありません」

 なんだか、大きな音がしたけどね、とくら子はちらりとまろみを見た。

「ネズミじゃないですか?」まろみはとぼけた。

2人の会話は来客にも聞こえ、キャッと悲鳴が上がった。

 くら子は来客にまろみを紹介した。

交換した名刺の肩書きは小学校の校長だった。弁天珠美は欽輪小学校に勤めている。珠美が

相談に来たのは、生徒たちに片づけの話をして欲しいという依頼だった。

「今の小学校はいろいろ大変でして、学級崩壊にモンクレの父兄の対応、

給食費の回収、ストレスを抱えた先生がうつになり休職と、きりがなくて、おかげでうちは

家庭崩壊の寸前で、恥ずかしながら家の中も大混乱なんです」

苦笑しながら珠美は、片付けられない子どもが多いので、わかりやすく話をしてもらいた

い。これは子どもの問題というよりも、親が片付けをしないので、子どもに片付けろという

のが無理な話で、本当なら親をなんとかしないと…と口を濁した。

「今、流行りの出前授業ですか」

まろみの声が半オクターブ上がった。

「はい、そうです。わたしも自分の家のことがあるし、20冊以上本を読んだのですが…これ

がどうにもね。それに、外部の大人の方にお話ししていただくのは子どもたちにとっても刺

激になりますし、片付け方とお仕事の話もしていただけたらありがたいです」

「いつも中高年の女性向けの講座をしていますので、小学生相手というのは…」

渋るくら子に、珠美は大丈夫ですと請け合った。

「ところで、このビルにはネズミがいるのですか」

「いえ、さっきのは頭の黒いネズミです」

まろみは横を向いて舌を出した。

ああ、なるほどと納得して、珠美は上機嫌で事務所を後にした。
  




「さすがに校長先生ね、ネズミは嫌いらしいけど、ここ一番の押しが強い。それに、片付け

るのにまず本を読むというのも」

そういえばと、まろみは昨日の元子との会話を思い出した。

 手帳に欽輪小学校の予定を書き込んでいるくら子に向かって、忘れないうちにとばかり

に、まろみは宣言した。

「くら子さん、わたしは真理を発見しました」

それはそれはと、くら子は面白そうにまろみを見て、コーヒーでも飲みながらゆっくり聞き

ましょうと台所に向かった。

片付けとダイエットは同じなのですと、まろみはコーヒーには手をつけず、真剣だ。

「なるほど、どういうところが?」

「本を読んだだけでは変わらない。知識だけでは頭でっかちで、行動が伴わないとダメだと

いうことです」

「確かに、整理や片付けの本が次から次へとたくさん出版されるけど、本を読むだけだは状

況は変わらない。ダイエットはそれ以上にたくさんの本が出ているわね」

そうでしょうとまろみは身を乗り出した。

次は?と、くら子はカップの茶色い液体を覗き込んで訊いた。

「一度に結果を出そうとすると失敗する」

くら子は頷いた。

「それに、下手をするとリバウンドがくる」

「これで3つ」

「継続することが大切で、万人向けの方法はないし、魔法の杖も無い」

お見事とくら子は手を叩いた。

えへんと、まろみは胸を張ってコーヒーを口にした。

「真理を発見したのだから、小学校の件はまろみちゃんにお願いしようかしら」

げほげほとむせたまろみに、冗談よとくら子は背中を叩いた。

 1ヶ月後、4年生の教室でくら子は黒板に名前を書いて自己紹介をした。

次に、教室のまん中の机を4つ、くっつけるように子どもたちに促した。

なにが始まるのかと思いながら、子どもたちは集まった。

くら子は持ってきた大きめのトランプを机の上にふりまいた。

「それではゲームをします。赤の組と黒の組と2人ずつ代表を選んでください」

 始めは譲りあい、がやがや言いながら4人が決まった。

くら子は隣にいた髪の長い女の子にタイマーを渡し、もう1人には記録係を命じた。
  




「それでは、この中から、それぞれ2枚ずつ7のトランプを探してください。時間を測っても

らいますから、他の人は手を出さないでね」

赤組は15秒、黒組は17秒だった。

こうして何回か繰り返した。

 次にカードを赤のダイヤとハート、黒のクローバーとスペードに分け、取りやすいように

並べてくださいと4人に言った。

まわりではがやがやと騒がしいが、相談しながらどちらもエースからキングまで順番にカー

ドを並べた。

「それでは、7を取ってください」

4人は迷わずカードに手を出した。

「何秒ですか?」

「1秒です」

「それでは7のカードを戻してください」

4人は迷わず、元の場所にカードを戻した。

「今、7を戻してもらったけど、どこに戻すか、すぐにわかったかな?」

わかったという素直な声と、バカにしてるのかという不審な顔が入り混じった。

「おばさんの仕事は、今のことを大人の人に教えてるのです」

「えーっ、大人でも、トランプのできない人がいるの?」

「今は、トランプで実験してもらったけど、たとえば、これが教科書や鉛筆だったらどうな

るかな? ぐちゃぐちゃになってると、探すのに15秒かかる。きれいに並んで、場所が決ま

ってると1秒で探せたし、すぐ元のところに戻せるね。この元の所に戻すというのが、一番難

しいかもしれない。それでは質問です、忘れ物をしたい人は手を挙げて―」

くら子はゆっくりと見回して、誰もいないようですねと念を押した。

 校長の珠美がいつの間にか、くら子の後ろでにこにこしながら聞いている。

 50分の出前授業を終えたくら子は、校長室に案内された。
  




用意されていたお茶を飲むくら子に向かって、珠美がしみじみ言った。

「片付けというのは、子どものころから習慣にするのが一番ですね」

唇に笑みを浮かべたくら子が顔をあげると、珠美はデスクのカギのかかった引き出しを開

け、小さな缶を取り出した。

 珠美がそっと蓋をあけると鮮やかな色が溢れた。

マカロン! と声を上げたくら子に珠美はおひとつどうぞと差し出した。

「わたしは、イライラした時に、これを1つつまむのです。職員に八つ当たりするより、わた

しが太るほうがましですからね」

 それでは、いただきますとくら子はオレンジ色のマカロンを口に入れた。

 珠美は、あと半年で定年退職をしたら、書家として作品を発表したいと思っていると、突

然個人的なことを話し始めた。

 珠美の実家は裕福で、子どもの頃から身の回りのことはすべてお手伝いさん任せの生活

で、珠美はピアノや書道、日本舞踊と習い事に忙しかった。

 親の反対を押し切って職場の同僚と結婚したが、家事は全然できず、料理は学校の帰りに

デパートで総菜を買って帰った。共働きを承知していた夫は料理をしない妻に不満を言うこ

とも無く、家事を分担してくれた。

 1人娘が結婚をして出て行き、夫婦2人の生活になったが、珠美が校長になったことから歯

車が狂い始めた。もちろん、勤め先は違ったが夫は教頭のままだった。そして、夫は同じ学

校の女性教師と不倫をし、それが発覚して退職の末、家を出て行った。

 話を聞きながら、くら子はなぜ珠美がこのような話を、しかも校長室でするのか不思議だ

った。

くら子の戸惑いを感じた珠美はこんな話を聞かせてごめんなさいねと詫びた。

「わたしにはこういう話ができる友達がいないのです。前に、家庭崩壊寸前だって言いまし

たけど、もう崩壊してるんです。毎日虚勢を張って校長先生を演じてるだけで、身も心もぼ

ろぼろ。ストレスと比例して食べる量も増えて、体重が10キロも増え、着られる洋服がなく

なって。今日の子どもたちではないけれど、積み重なった洋服の中から着られる洋服を探し

ている情けない暮らしです。子どもたちのためと言いながら、これはわたしのための出前授

業だったようです」

「一度、ゆっくり休みを取られてはいかがですか」

「そうですね、そうしたいのは山々ですが、あと半年ですから…」

くら子は、それまでに体を壊してしまうのではないかとは思ったが、口をつぐんだ。

「半年たったら『わくわく片付け講座』を受講させていただきます」

「わかりました、お待ちしております」
  




 半年後、事務所に珠美が現れた。

「その節はお世話になりまして」
 
 珠美は別人かと思うほど変わっていた。やせて腰まわりがスッキリし、以前は白髪の目立

った髪も明るい栗色に染めていた。

「ダイエットをなさったのですか」

くら子の問いに、珠美はくくくと口に手を当てた。

「くら子さんのせいですよ」

えっ、そんなとくら子が口ごもると、珠美はうふふと楽しそうだ。

 興味津々のまろみもお茶を出して、くら子の隣に座った。

 くら子の出前授業の後、担任の先生が風邪で休んだ時には珠美が授業を担当し、くら子の

ようにトランプを使って子どもたちと片付けゲームをした。

 その時に、生徒の1人が聞いた。

「トランプはなぜこんなにたくさんあるの?」

「足りないとゲームができないから」他の生徒が答えた。

そうかなあという声が起こった。そこで良い機会だと、珠美は生徒たちと考えた。

例えば、トランプは1から13まで必要だろうか。1から8でも7並べや神経衰弱はできる。絵

札のハートとスペードだけでもできる。

 実際に試して見ると、あっけないほどゲームは早く終わる。驚いたのは、トランプをした

ことがないという生徒がかなりいたことだった。そして、カードが少ないと早く終わるけれ

ど面白くない、つまらないと子どもたちは正直に口にした。

 この後、珠美は気がついた。

カードがたくさんあるというのは選択肢が多いということだ。子供たちには未来が広がって

いる。だから、いろいろなカードが必要だ。しかし、半年後に退職する自分の未来にどれだ

けの選択肢があるのか、たくさんのカードはいらない。年を取ったらカードを減らすことを

考えなければならない。整理や片付けの本にも、捨てること、減らすことが書いてあった

が、頭では理解できても行動にはつながらなかった。

 これは、モノの問題だけではない、仕事もそうなのではないか。なんでも首を突っ込むの

ではなく、校長としてするべきことだけをすればいいのではないか。教頭に任せられること

は、任せればよいのではないか。

 一度頭の整理をしなくてはと考えた珠美は3日間の休暇を取って、温泉に行った。環境を変

え、温泉につかり、散策し、これからのことを考えた。

 こうして、珠美は残りの半年を乗り切り、退職したのだった。
  




 まろみが我慢しきれず聞いた。

「ダイエットされたのですよね」

「ええ、食べた物とカロリーを記録しはじめたら、どれだけ甘いものを食べていたか、スー

パーのお弁当にどれだけ油が使われているか、びっくりしましたよ」

 まろみは続けた。

「運動はされました?」

「運動とは言えませんけど、毎朝、学校まで50分歩きました」

 珠美は冷めたお茶を飲んで続けた。

「このダイエットのお陰で、記録するということが重要だと思い、次に何を捨てるかを書き

だして、次に捨てたモノを記録しました」

それでどうでしたか、とくら子は先を促した。

「サイズの合わない洋服から始まって、学校の古い資料、名簿など書きだして、休みの日に

片付けていきました」

「すっきりしましたか?」

「ええ、自分でも意外でしたけど、まるで長年苦しんでいた便秘が解消したみたい」

その気持ちよくわかりますというまろみの言葉に女3人で笑った。

「そこで、今日うかがったのは『わくわく片付け講座』の申し込みをしたいと思いまして」

「もう必要ないと思いますけれど」くら子は笑顔で答えた。

「モノは減りましたけれど、これからの暮らしをもう一度考えたいし、それに…」

くら子は続きを待った。

「友達ができるのではないかと思いまして」

「書道のお仲間がいらっしゃるのではないですか」

珠美は首を振った。

「上下関係の厳しい世界ですし、展覧会で賞を取ろうという人たちの集まりでは、ライバル

しかいないのです」

「なるほど、校長先生ではなく、弁天珠美さんのお友達ですね」

ええ、ええ、そうなんですと珠美はくら子の手を握った。
  




 珠美が帰ると、まろみは机に向かった。

「どうしたの、まろみちゃん」

くら子の問いに、まろみは振り向いて答えた。

「今朝、食べた物を記録してるんです」

「なるほど、ダイエット開始ね。それでは、3時のおやつは、わたし1人で豆大福をいただき

ます」

まろみはいやいやと首を振った。

「ダイエットと言っても、豆はからだにいいし、バランスが大切ですから大丈夫です」

 豆大福を頬ばりながら、まろみは珠美の言葉を思い出した。

「珠美さんも、校長先生という肩書が重かったのでしょうね」

「確かに、比較的男女の差は少ない世界だと言っても、女性の校長というのはわたしたちが

想像する以上に大変で、孤独だったでしょうから」

まろみは、珠美のストレスは仕事のことだけで、夫の不倫や離婚のことを知らない。

「ところで、来週の『わくわく片付け講座』のテキストの準備は終わっているでしょうね」

いえ、今、はい、すぐしますと、まろみはもうひとつ豆大福を手にして出ていった。

 わたしたちの仕事も、まんざら捨てたものじゃないと思いながら、くら子はまろみの後ろ

姿を見送った。


 





この話の元のタイトルは、「ダイエットと片付けの関係」でした。

片付けが苦手な人は片付け本を買う傾向があるようです。そこでダイエットと絡めて、行動

しないと片付けない話を書きました。

また当時は記録する「レコーディングダイエット」が流行っていました。

この方法は今でも有効だと思っています。

話の中では小学生向けにしていますが、トランプの話は現在、講演でも話しています。

   

このようにパワーポイントでトランプの写真お見せしています。





 








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