28 、減築で新しい家族の物語をつくる(2) 

  

 夫婦が考えたこれからの新しい暮らしと生き方




 遺産相続というのは、本人の受取め方によっては不愉快な話題である。また、荷物を整理  


するにあたって、家族や友人・知人に譲る、オークションに出す、リサイクル、寄付、捨て


るなどの選択肢がある。これほどの品々は財産とみなされるだろうし、相続の問題も抜きに


しては考えられない。その点をくら子はゆかりに尋ねた。


「くら子さん、お気使いなく。わたくしどもは、相続の問題も考えております。『子孫に美


田を残すな』とかいう言葉がありますでしょう。うちは美田というほどのものではありませ


んけれど、必要以上の物を息子たちに残す気はありませんの。それに相続税で煩わせたくも


ありませんし、弁護士さんにご相談して、きちんとしておくつもりです」


「なるほど、ではまずお部屋ごとに分けて考えましょう。書斎と図書室の物は全部美術館に


持って行かれると考えてもよろしいですか」


「はい、けっこうです」


「それから、2階の息子さんたちのお部屋の荷物はどうされますか」


 2階の息子たちの2部屋は机やベッドがそのままで、本や衣類なども学生時代のものが残っ


ていた。


「あれは息子たちに、引き取るなり、処分するなりさせます。子供の頃からの写真も山ほど


あるのですが、いらないって言います。主人がカメラに凝って子供たちの写真をたくさん撮


ったのに、がっかりです」


 ゆかりの口調はいかにも残念という感じだった。


「そういう方が多いですよ。親ごさんは成長の記録だからとたくさんの写真を残しておられ


ますが、子供さんは過去よりも未来に目が向くようで、さっぱりしたものです」


「ワードローブはどうされますか」


 クククとゆかりは楽しそうに笑った。


「パーティードレスは還暦でシャンソン歌手デビューをした友達に譲ります。体型はあまり


変わらないし、彼女はわたしより5センチほど背が低いのだけれど、ヒールを履いて舞台に立


つとはりきっていますから」


 そうそう、コンサートの案内があったはずとゆかりは席を立った。

   



「くら子さん、これでは別にわたしたちが出る幕はなさそうな気がするんですけど」


まろみは訳がわからないという顔をした。


「そうね、今日は最後までお話を聞きましょう」


 コンサートの案内を受け取って、くら子は話を戻した。


「あとのワードローブはどうされますか」


「正直なところ、ほとんどいらないと思ってるのよ」


 実はと、ゆかりは話し始めた。夫の隆志が去年胃癌の手術をした。幸い発見が早かったの


で今のところ問題はないが、それを機に2人でこれからの暮らしについて考えた。これまでの


ように年に何回も海外に出張するのは無理だし、そろそろ引退する潮時ではないか。そし


て、何かの形で社会の役に立ち、生きがいになるようなことが2人でできればと考えた末に、


さくらの勧めもあり美術館の開設を決断した。


「ここだけの話ですけれど、夫の手術の時にわたしは神様に約束したの。転移がありません


ように、夫の命さえ助かれば、もう何もいりませんって」


「誤解なさらないでね。どこかの宗教というわけではないの。うちには神棚もお仏壇もない


のよ。それなのに、神様に祈り、願い、約束した。だからこそ、守らなければいけないと思


っているの。夫婦っておかしなもので、夫も病床で、今、ゆかりを残しては死ねないから、


助けてくださいと祈ったそうなの」


 くら子とまろみは何も言えなかった。


「だから、頭の中では整理がついていたの。にもかかわらず行動できなかった。わかってい


ることと、それを実行できるということは別でしょう?」


 くら子はにやっとした。


「わたしも、頭ではわかっていても、行動に移せない事がいろいろあります」


まあ、くら子さんもと、ゆかりは顔をほころばせた。


「でしたら、わたしたちがぐずぐずしていたのもわかっていただけるわね。そんなわたした


ちを見てさくらさんが、くら子さんに相談しなさいとおっしゃったの。そうすれば、前へ進


めるでしょうって」


 くら子はなんと答えて良いのかわからなかった。


「よく言うでしょ。お墓の中まで財産は持って行けないって。わたしもそう思っているの


よ。それに年を取るにつれて身軽になる方がいいってね。洋服も少しならあれこれ迷わなく


ていいし、管理も楽でしょう。わかっていても、欲というか、執着というか、いろいろある


のよね」


「あって当然だと思います」


「でもね、阪神大震災で家が全壊になった友人は、すべてを失くした。当座は悲しかったそ


うだけど、時がたつにつれて、さっぱりしたって思うようになったそうなの。家も小じんま


りしたマンションを借りて、気楽に暮らせるのが一番だって。今では月に二、三回山登りを


楽しんでおられるみたい」


 ゆかりは立ち上がって、バンザイをするように背を伸ばした。


「これで、なんだかすっきりしたわ。ところで、そろそろお腹がすきません?」


「い、いえ、お茶やお菓子をたくさんいただきましたので」


まろみもこっくりとうなずいた。


「そんな、遠慮なさらなくてもいいのよ。お2人が健啖家だということはさくらさんから聞い


ていますから」


なんでもご存じだとくら子とまろみは恐縮した。

   




 ダイニングで3人でタンシチューを食べながら、まろみが聞いた。


「ゆかりさんもジュエリーのお仕事をなさっていたのですか」


「ええ、わたしはデザインの方だけど。実はミラノにジュエリーのデザインの勉強に行って


たのよ。そこで、宮前と知り合ったというか…」


「えっ、ミラノで恋が芽生えたのですか」


 スプーンを持つ手を止めて、ゆかりは首を振った。


「ミラノの小さな食堂で、焼きナスの作り方を聞いていた変な日本人が夫だったの」


「はぁ、焼きナスですか」


「まろみさん、日本の焼きナスとは違うのよ。賀茂なすのような丸いナスをオーブンで真黒


になるくらい焼いて、オリーブオイルとお酢を混ぜたものに漬けこむの。熱いうちも、冷め


てもおいしいのよ。そうそう、夫のことね」


 婚活中のまろみはロマンスの話が大好きだ。


「わたしは当時貧乏学生で、その安くておいしい店の常連だったの。お店のおばさんが変な


日本人に、あの娘も日本人だって紹介してくれて、少し話をしただけで、さようなら」


「ミラノを案内するとか、食事のお誘いはなかったのですか」


「なかったの。夫は翌朝、商談でジュネーブに飛ぶ予定だったから。もう会うことはないと


思ってた」


 まろみはフランスパンを片手に身を乗り出した。


「ここで終わりませんよね。それだったら、ご夫婦にはなってはおられない」


 そうねえとゆかりは微笑んだ。


「その後、どうなったんですか。『めぐり逢い』ですか」


くら子が苦笑して、付け加えた。


「まろみちゃんは『めぐり逢い』って昔の映画みたいな出会いに憧れてるんです」


「そういえば、そういう映画もあったわね」


それで、それでとまろみは落ち着かない。


「2年後に、わたしがデザインしたジュエリーが賞をとって、授賞式に夫が来てたのよ」


「キャー、ロマンチック」まろみの目には星が輝いているようだ。


「それが、そうでもないの。当時、夫には奥さんがいてね」


そんなと、まろみは肩を落とした。


「でもやっぱり、赤い糸が繋がっていたのですよね」


「まあね。奥様とは別居状態だったのだけれど、すんなり結婚という訳にはいかなかった


わ」


「しゅ、修羅場があったとか」


「まろみちゃん、いい加減にしなさい」


「だって、くら子さん、この先がいいとこなんですよ。このままだと今夜は眠れないです」


「まろみさんって楽しい方ね。そこまで言われては、お話ししない訳にはいきませんね」

   




 隆志の妻は、老舗の宝石店の一人娘だった。知り合いの紹介の見合い結婚で、養子ではな


いものの、隆志は次期経営者として期待された。


 研究者として長年過ごした隆志にとって、宝石の美しさよりも帳簿の数字にしか注意を払


わない仕事に疑問があった。しかし、自分の立場や責任を自覚していた隆志は、昼間は会社


で慣れない営業部長の職をこなし、夜や休みの日は宝石の研究に没頭した。


 妻はそんな夫に不満を抱き、出歩くようになった。妻から妊娠したと聞かされた時も隆志


は驚かなかった。自分の子どもでないことはわかっていたが、妻を顧みなかった罰が下った


のだと思い、愛のない結婚をした自らの愚かさを悔いた。


 相手が誰だかわからないうちは、隆志も平静を装っていられた。子どもの父親が、隆志の


大学時代のテニス仲間だとわかった時は動揺し、ますます研究に没頭するようになった。


しかし、妻には何も言わなかった。


隆志の無視に、なぜ怒らないのかと妻は逆上した。身勝手な言い分だが、妻の言うこともも


っともである。愛していれば、怒り、嘆き、苦しんだだろう。しかし、隆志にはもうどうで


もいいことだった。そして、妻の罵倒を背に家を出た。


 1週間後、妻には離婚届を、会社には退職願を郵送し、イギリスへと旅立った。


 留学時代の友人のつてで、隆志は美術品のオークションの仕事を手伝うことになった。


半年後にジュエリーデザインの授賞パーティでゆかりと再会した。


 はじめは、ジュエリーの話、それから徐々に、お互いの生き方、考え方に共通点を認め、


ミラノやロンドンで逢瀬を重ねた。隆志は離婚が成立していると思い込んでいた。


しかし、ある日、日本から子供が生まれたというエアメールが届いた。


妻は離婚届を出していなかった。子供の父親が必要だったからである。今と違い、DNAで親


子鑑定をするなど考えられなかった時代で、戸籍上の父親は隆志だった。


驚いて日本に戻った隆志に、妻は離婚しない、子供を父なし子にするのかとなじった。妻は


隆志が妻の不貞を言い立てる男ではない事を計算していた。周囲は隆志のことを、身重の妻


と仕事を放り出してイギリスに行ってしまった無責任で身勝手な男だと見ていた。隆志はな


す術もなく、ロンドンに戻った。

   




「うわっ、とんでもない奥さんですね」


まろみはシチューを食べるのも忘れて、自分のことのように憤慨している。


「ほんと、まろみちゃんって面白いわね」


 1年後、隆志のもとへ離婚届を提出したという弁護士からの手紙が届いた。ほっとした隆志


が弁護士に連絡を取ると、どうやら妻に再婚相手が現れ、結婚したいので離婚届を出したら


しかった。


「どこまで勝手な人なのでしょう。ほんとにアッタマにくる」


地団駄踏みそうなまろみに、ゆかりは、もう昔のことよと苦笑した。


離婚が成立した隆志はゆかりと結婚し、日本に戻ったが仕事はできなかった。


宝石業界に力を持っていた元妻の父親の差し金で、雇ってくれる企業はなく、2人は仕方なく


またロンドンへ戻った。


その頃、ゆかりが妊娠したので隆志は決断した。貯金をはたいて「イブニング・エメラル


ド」と呼ばれている、高価なペリドートのネックレスを購入した。


「それは、ゆかりさんへのプレゼントですか」


くら子の問いに、ゆかりはとんでもない、親子3人の生活のためよと答えた。


「オー・ヘンリーのような『賢者の贈り物』ではないですよね」


ゆかりはふふふと笑った。


「夫は賢者ではなかったし、わたしも長い髪ではなかった」


 ケンちゃんの贈り物? とつぶやくのにまろみを無視して、くら子は続きを促した。


 隆志はネックレスを持って、某大使館の大使夫人を訪ねた。


 1ヶ月後の大使館主催のパーティの時に、このネックレスをつけませんか? と提案した。


売ろうとしたのではなく、貸そうとしたのである。買えばとても高価なものだが、一夜借り


るだけなら、負担も小さい。そして、夫人の虚栄心も満たされる。今でいうならば、高級宝


石のレンタルを始めたのである。また、隆志にはオークションの仕事をしていた時に関わっ


た人脈があり、このレンタルの話が口コミで広がった。


 1年後、隆志の手元のネックレスは3つになっていた。


「なーるほど、頭のイ―ご主人ですね」まろみは感心した。


「2年後に2人目の子どもができた時に、教育は日本で受けさせたいから帰国したの」


 ゆかりの口調から、これでハッピーエンドにならないことがわかった。


「世間はそう甘くなかったし、前妻の父親は娘を捨てた男を許さなかった」


「でも、ほんとは自分の娘が不倫をして他の男の子供を産んだのでしょう。とんでもないバ


カオヤジ」まろみはがぶりとお茶を飲んだ。


「そうね、でも父親は真実を知らされていなかったから」


 2人は日本に住み、宝石のレンタルを続けた。そのため、隆志は一年の半分を海外で過ごし


た。

   




 5年後に、知人の勧めで、今のようにマンションの一室で予約をされたお客様のみに宝石の


販売をするようになった。それも、はじめはほとんどが外国の大使夫人だった。


「今でもバカオヤジは邪魔をしているんですか?」


「彼女が再婚した相手は、元銀行マンだった。会社を継いで、バブルの頃に不動産に手を出


してマンションやビルをたくさん所有していたらしいけど…」


「不良債権になった」


くら子のことばに、ゆかりはその通りとうなずいた。


「やっぱり、バカオヤジに天罰が下ったんですねぇ」


「わたしたちにはもう関係なかったのよ。その頃には仕事も軌道に乗っていたし、違う世界


の人だったから、だけど…」


 今は幸せそうで、豊かに暮らしているけれど、それが簡単に手に入ったものではないのが


くら子とまろみにもよくわかった。そしてゆかりの、だけど、という言葉。


「夫が苦しんだのは、息子のことなの…」


 今は立派に成人している二人の息子に何があったのだろうか。難病? いじめ? と考え


ると、さすがのまろみも口に出しては聞けなかった。

   




 黙り込んだ2人に、ゆかりはうちの息子じゃなくてね、と言葉を濁した。


ハッとしたくら子にゆかりの口角が上がった。


「もしかして、戸籍上の息子さんですか?」


「ある日、中学生の男の子が訪ねてきたの。元銀行マンを実の父親だと思っていたらしいけ


れど、親せきの不注意な言葉に疑問を持って、両親の血液型を調べたとか」


「その年ごろって、そういうことが気になるのですよね。わたしなんかよく、いたずらする


と、お前は橋の下で拾ってきた子だと言われました」


「まろみちゃんのことはどうでもいいの」


 どうでもいいって、どういうことですかとぼやくまろみを無視してくら子は続けた。


「本当のことをおっしゃったのですか」


「言えなかった」


 隆志は少年をリビングで待たせ、書斎で前妻に連絡を取って、どうするかを話し合った。


もちろん、前妻は実の父親のことを話さないでくれと言った。それではまた、嘘を重ねるこ


とになる。かといって、母親の浮気を告げれば、どうなるだろう。この子は母親からも離れ


てしまうのではないか。多感な少年に嘘をつきたくはない。しかし、本当のことを話せば、


どれほど傷つくだろう。そして、この場はそれで済んでも、真実を知った時、彼は大人を信


じられなくなるのではないか。


 額のニキビを隠すように前髪をおろした学生服の少年は、ゆかりに出されたオレンジジュ


ースにも手を出さず、ソファーの端にかしこまって座っていた。


「お待たせして悪かったね」


 隆志は微笑んだ。


「あなたは僕の本当のお父さんですか」


 少年の直截な問いかけと、膝の上で握りしめた両の拳が痛々しかった。


 隆志は答えられなかった。


 それまで息をつめていた少年が、ふーっと大きく息を吸って隆志をまっすぐに見た。


「血液型を教えてください」この問いが何を意味するかお互いに理解していた。


「O型です」


 少年は顎を上げ、ゆっくりと目をつぶった。


歯を食いしばり、ありがとうございましたと、震える声で隆志に軽く頭を下げた。


 帰ろうとした少年に隆志は、待ちなさいと肩に手を置いた。その瞬間、少年は崩れた。


悲鳴に近い号泣が部屋を満たした。

   




 泣き疲れ、ジュースを口にした少年に隆志は聞いた。


「ところで、お腹はすいてないかな?」


 いいえと答えた少年の腹の虫がキュルルと鳴った。


「今夜、うちはカレ―なんだが、君は嫌いじゃないよね?」


 こくんとうなずいた少年の肩を抱き、食卓に導いた。


 2人の息子がスプーンを振りまわして待っていた。


 お父さんの知り合いの息子さんだよと紹介した。


「今日は父さんがカレーを作ったからおいしいよ。玉ねぎを3時間も炒めて作るんだ」


長男が得意そうに言った。


「そうなんだ、うちは母さんより父さんの方が料理がうまいんだけど、出張が多いからね。


でもこの話は母さんには内緒だよ」次男が付け加えた。


「なにが内緒ですって」ゆかりが皿の載った盆を持って来た。


「いや、今日はカレーで嬉しいなって話だよ、母さん」


ほんとかしらと笑いながら、ゆかりはカレーの皿を配った。


 グラスに入った白い飲み物はヨーグルトの入ったラッシーだと教えられた。


少年にとって、甘酢っぱいラッシーも、粘りのないサラサラのカレーライスも、父親が料理


をするということも、何もかもが驚きだった。


大きな寸胴鍋いっぱいのカレーが食べざかりの三人の腹におさまった。


「お母さんには電話をしておくから、今夜はもう遅いし、泊っていきなさい」


 少年は隆志の誘いがうれしく、こっくりとうなずいた。


 子ども部屋にもう一つ布団を敷いた。


少年が一度二段ベッドに寝てみたかったと言ったので、長男が布団に寝ることになった。


ゆかりが部屋の灯りを消しても、3人は修学旅行のように、遅くまでひそひそと話し合ってい


た。

   




 翌朝、朝食のおにぎりを頬ばりながら長男が隆志に聞いた。


「父さん、健太はこれからも遊びに来ていいよね」


 少年は拒否されるだろうと下を向いていた。次男も援護射撃をした。


「健太兄ちゃんは、一人っ子だから、家に帰ってもつまんないんだよ。僕たちだったら、一


緒にサッカーやキャッチボールもできるしさ、いいでしょ、お父さん」


「おまえたちは友達になったのか」


「違うよ、兄弟の杯を交わしたんだ」


長男はニッと父親を見た。次男もそうだという顔をしている。


なにぃ〜? と、隆志は目をむいた。


健太は照れ臭そうにもじもじと下を向いて、落ち着かない。


「だって、この前、映画でやってたもの」


「あのな、杯を交わすというのはどういうことかわかっているのか」


「知ってるよ。コーラで乾杯したんだ、なっ」長男は得意そうだ。


「だから、健太兄ちゃんがこれからも遊びに来てもいいでしょ」


次男が父親に甘えるようにねだった。


「お前たちの希望はわかった。健太君のお母さんに相談してみる」


 隆志はこれ以上前妻と関わりを持ちたくないと思ったが、健太のことを考えると、いやと


は言えなかった。


 前妻は息子のことに興味がなく、息子の行動には干渉しない、勝手にすればいいと言い放


った。その言い方は何だと腹が立ったが、健太のためにはその方が良いだろうと腹の虫をお


さえて、電話を切った。


 思春期の子供たちのつきあいなど気まぐれで、すぐに忘れてしまうだろうと思っていた隆


志の予想ははずれた。

   




 健太が進学した高校に、翌年長男が入学し、同じテニス部でダブルスを組み、インターハ


イに出場した。


 夏休みや連休になると、宮前家の息子は3人になった。冬のスキーや屋久島へも5人で行っ


た。事情を知らない人は、宮島家には3人の息子がいると思っていた。


 ゆかりの長い話はここで終わった。


「どうして血のつながりのない人にそこまでしてあげたのですか」


まろみにはとても理解ができなかった。


「どうしてでしょうね、わたしたちにもよくわからないけれど、みんな彼が好きだったし、


気が付いたら、いつもうちの食卓に座っていたという感じで、ご縁かしらね」


「今、この方はどうしておられますか」


まろみと違い、くら子はゆかりがここまでの話をする理由がわからなかった。


 うふふとゆかりは肩をすくめて笑った。


「実はね、うちの減築の設計をしてくれる三井健太君がその人なの」


ポカンと口を開けているまろみの隣で、くら子はうなずいた。


「彼とわたしたちの関係や、どのような暮らしをしてきたか、また、どんな思いで荷物の整


理をしようとしているかをわかった上で、お願いしたいと思ったから」


 これは宮前家の家族の物語で、これからまた新しい物語が始まるのだとくら子は感じた。

   




 ピンポーン!とチャイムが鳴り、ゆかりがインターホンで話している。


「お客様でしたら、わたくしたちはもう失礼しますので」


 くら子とまろみは腰を上げた。


 こんばんはと大声で食堂に入ってきたのはさくらだった。


キャッとまろみが両手で顔をおおった。


「なによ、まろみちゃん、わたしは幽霊じゃないわよ」


「幽霊より怖いです」まろみの頼りない声。


「取って喰おうという訳じゃあないんだから。それに、あんたは、あまりおいしそうでもな


いからね」


おいしくない? どういう意味よとまろみは考え込んでいる。


 くら子も、ご無沙汰しておりますとあいさつをした。


「宮前物語は聞いた?」 さくらに前置きはない。


「はい、うかがいました」


「それじゃあ、よろしくね」


「承知しました」


「夕食は済んだようだけど、まだ豆大福は入るかしら?」


さくらから身を引いていたまろみが乗り出した。


「入ります! 入ります! 甘いものは別腹です」


あんたに聞いてるんじゃあないんだけどねと、笑いをしながらさくらは古びたエコバッグの


中から豆大福の包みを出した。


 お茶を飲みながら、さくらはまろみを見た。


「ところで、三井君って、二枚目なんだよ。佐田啓二みたいでね」


2つ目の豆大福に手を伸ばそうとしていたまろみの手が止まった。


佐田啓二ってダレ?


 まろみの頭の中はクリスタルのように透けて見えるので、さくらは続けた。


「ほら、よくテレビに出てる中井なんとかのお父さんだよ」


「ナカイ? テレビ? もしかしてあの中居クン、キャッ」


 くら子が、それは違うと言いかけたのをさくらがそっと制し、バチンと、アイラインで2倍


の大きさになった目でウインクした。


「打ち合わせには、わたしも参加させてもらえるでしょうね」


まろみの上半身は踊るように揺れている。


「あたりまえじゃない」


くら子はさくらに合わせることにした。ゆかりは呆れて様子見の構えである。

   




「ところで、宮前邸の減築はいつから始まるの?」


さくらの切り替えは早い。くら子はゆかりを見た。


「うちはすぐにでもけっこうです。美術館へ運ぶものは決まっていますから三井君と相談し


て日程を決めて下さい」


「わかりました」


 よろしくお願いしますとゆかりに見送られ、宮前家を後にしたくら子は、夜空を見上げ


た。まろみは、ナカイ君の歌を口ずさんでいる。


 宮前家の笑顔と涙が詰まった家や荷物を整理して、新しい家を造ることは、新しい歴史作


りに関わることになる。何も知らなければ、単なる荷物の片付けと減築で終わっていただろ


う。だからこそ、ゆかりは三井のことも含めてすべてを話してくれた。信頼されたことがう


れしく、また責任も感じた。


さくらがわざわざ訪れたのも、よろしく頼むということなのだろう。


「あっ、星が流れた」


まろみも空を見上げた。


「早く言ってくださいよ、くら子さん。流れ星にお願いするんですから」


「間に合わないわよ」


そうですねえ、獅子座流星群ですかねと、まろみは額に手をかざした。


「あれはもっと遅い時間じゃあなかったの」


そうでしたかと、まろみは次の流れ星を待っている。


 角を曲がると、まろみ西を指差して、ぶつぶつと呟いた。


 まろみは流れ星だと思って願い事をしているが、光の動きが遅い。人工衛星ではないかと


思ったが、くら子も宮前家の減築がうまくいくようにと願った。


 流れ星と共に長い一日が終わった。

                       





私も大昔イタリアに行きました。


本文中のイタリアの焼きナスですが、写真のフィレンツェの食堂↓でおいしくて、思わず作


り方を聞きました。今でも家で時々作ります。食堂ではこの中から前菜として好きなものを選べます。


 


           


  ついでに   ミラノのDUOMO    ミラノの銀器のお店




  







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