10  撫子(なでしこ)ホームをつくります!  


   「わくわく片付け講座」がきっかけで決意しました




 古希を過ぎた姉妹のいさかいの原因は、松花堂の弁当箱だった。妹の七本松かえでは、料

理が得意で、長年自宅で近所の主婦を集め料理教室を開いている。教えているのは和食中心

のメニューで、料理を作ればそれを盛る器が必要になる。そこで、かねてから姉のさくらが

嫁いだ戸田家の松花堂の弁当箱に目をつけていたが、言い出せなかった。

 姉夫婦に子供はなく、義兄が昨年亡くなり、一人暮らしになった姉には松花堂弁当でもて

なすような来客もない。さくらは元々料理が好きではなく、夫が事業を営んでいた頃には仕

出しや寿司の出前で来客をもてなしていた。

 かえでによると、現在のさくらの食生活は近所のスーパーで総菜を買ってきて、パックの

まま食べているそうである。そこで使われていない、使われる予定もない越前塗一〇客の松

花堂の弁当箱を欲しいと言ったのに、姉はまだ使うからあげられないとけんもほろろだっ

た。

 松花堂の弁当箱とは、30センチ四方の蓋つきの箱で、中は十字に仕切られ、煮物、揚げ

物、焼き物、刺身などと飯が盛りつけられ、名前の由来は寛永時代の文化人、松花堂昭乗か

らといわれている。

 何度か、口げんかを繰り返したがそこは姉妹で、行き来が途絶えることはなかった。

 かえでは偶然、料理教室の生徒(還暦を過ぎている)が参加したという「わくわく片付け

講座」の話を聞き、策を練った。

 姉を誘って、講座に参加し貯め込んだものを片づけるという名目で弁当箱を手に入れよう

と思ったのである。自分で買えないことはないが姉のところにあり、使われていないのにな

ぜ買わなければならないのだ。

 世の中は環境だ、リサイクルだといわれているのに、もったいないではないか。こうなっ

たら、是が非でもあの美しい弁当箱を手に入れなければ気が済まない。

かえでの頭には弁当箱に盛る料理の献立があれこれ浮かぶ。揚げ物は、きす、車海老、あな

ご、刺身は鯛かヒラメ、煮物は…。弁当箱を墓まで持ってはいけないことを姉はわかってい

るのであろうか。それともわたしが欲しがるから、意地になっているのだろうか。

 あんな欲張りと血がつながっているなんて信じられない。入院した時とか、困った時だけ

呼びつけて。いつも、「ごくろうさん」で終わりじゃない。譲る子どももいないのだから、

せめて妹や姪に少しぐらい感謝の気持ちを表して欲しいものだわ。

かえでは、渋るさくらを、メイクの話もあるからと、「わくわく片付け講座」に連れ出すの

に成功した。老前整理なんて言うと、縁起でもない私はまだまだ元気なのだからと、怒るに

決まっている。さくらは宝石や洋服、化粧が好きである。




 「わくわく片付け講座」に参加した二人は、はた目には仲の良い高齢の姉妹に見えた。

メイクの講座では、ありったけの高級化粧品を持ってきて広げ得意になっているさくらに、

周囲の者は唖然とした。かえでだけは、冷ややかに見ていた。また、メイクの実習で一番熱

心だったのもさくらであるが、トラブルもあった。

隣に座った、40半ばの女性からの、「おばあちゃんでも化粧するんですね」というひとこと

に喰ってかかった。

「わたしはあんたのおばあちゃんじゃないんだから。年寄りは誰でもおばあちゃんと呼べば

いいと思って、バカにしてるよ。ちゃんと、戸田さくらという名前があって、ほら、名札も

『さくら』になってるのが見えないのかい?」

「そんな、お年寄り…いえ、年配の方に、さくらさんなんて」

「どこがいけないんだい?」

「80になろうが、90になろうが、わたしは親からもらったさくらという名前で呼んで欲しい

もんだね。それになにかい? 80になったら化粧をしてはいけない法律でもできたのか

い?」

「そんなことはないですけど…うちの母だって、もう七〇過ぎですけど化粧なんかしてませ

んよ」

「化粧をするしないは個人の自由で、年は関係ないんだよ。そんな堅い頭じゃ、あんたの子

供は反抗して不良になるよ」

「ふ、ふりょう? 」

「非行少年のことだよ」

 かえではどこへいってもトラブルを起こすさくらに慣れていた。しかし、さくらのいうこ

とにも一理あると思うこともあった。

 メイクやパーソナルカラーの講座は無事終えたが、肝心の荷物の片付ける老前整理につい

て学ぶ時間をさくらは昼寝の時間と考えているようだった。そして、年金や相続、エンディ

ングの話になると2人はケンカを始めた。

 姉は妹に、あんたはわたしの財産を狙ってこんなとこに連れて来たと喚き、妹は、姉さん

のことを思って連れて来たと泣く始末。他の受講者は、また始まったという顔をして、半ば

面白がって見ていた。さくらはここで宣言した。

「決めました。わたしの財産は…わたしが死んだら…」

教室の話し声が止み、静かになった。

「日本からいなくなるかもしれないと言われている、メダカの救済に使ってもらいます」

 くら子もまろみも吹き出しそうになったが我慢した。

 メダカだってという、バカにしたようなつぶやきに、さくらは声を張り上げた。

「ただし、わたしは120歳まで生きますから、それまでメダカが生きているかが問題です。

それでは、みなさん。お達者で」

 さくらは手を振り、上機嫌で出て行った。かえでも、くら子に一礼して、後を追った。 




 翌日の朝、パソコンでメールのチェックをしながらくら子がまろみに講座のアンケートは

まとまったかと尋ねた。

「はい、だいたい。しかしくら子さん、メダカのインパクトはすごいですね。メダカに遺産

を残せるんでしょうかという質問も3人ありましたよ」

「アメリカではペットの犬に莫大な遺産を残した女性がいたから、日本でもあり得ない事で

はないかもね」

「だけど、メダカがいなくなるなんてあるわけないじゃないですか。そうでないと、『メダ

カの学校』が歌えなくなりますよ」

 さあ、どうかなとくら子はパソコンで「メダカ」を検索して、絶滅危惧種だとつぶやい

た。

「なんですか? その、ぜつぜつって」

絶滅しかけているってことよと、くら子はパソコンの画面をまろみに向けた。

「ほんとのことだったんですね。ふつうそんなこと知りませんよ」

「案外、本気かも。下手に遺産を残すよりメダカ基金でもつくった方がよいかもしれない」

「他人ごとだと思って。かえでさんの身にもなってくださいよ。あの調子じゃあ、さくらさ

んはほんとに120歳まで長生きするかもしれません」

「わたしたちには関係ない話なのにね」

「確かに、結局さくらさんの膨大な荷物はちっとも片付かなかったんじゃないですか」

「まあ、これはこれで良しとしましょう。さくらさんも120歳までには荷物をなんとかする

でしょう」

「その頃には、わたしたちが絶滅してますよ」

 これで、一件落着に見えたが…。




 半年後、戸田さくらから相談したいことがあるので、来て欲しいと電話があった。

「何でしょうねえ。ご用件は? って聞いたのですけど、とにかく、来てちょうだいでし

た。くら子さんには心当たりがありますか」

「もしかして、老前整理をしようと思ったのかも」

「それなら、いいんですけどメダカの話だったらどうします?」

「メダカは担当しておりませんって、帰りましょう」

 戸田家は豪邸だった。敷地も広く、背の高い樹木が家を取り囲んでいる。門柱のチャイム

を押すとどうぞという声がして、門が開いた。庭を10メートルほど歩くとエプロンをした家

政婦が現れ、玄関で革のスリッパを勧められて応接間に案内された。まろみは小声で、こん

な大きなお屋敷は初めてですね。迷子になりそうと、暖炉のある部屋を見回した。

 真っ赤なニットのワンピースを着てさくらが現れた。

「お忙しいところを、ごめんなさいね。先日はお騒がせしてしまって、申し訳なかったわ」

「いえ、お気になさらないでください。ところで、ご相談ということでしたが」

「わたしも『わくわく片付け講座』を受講して、いろいろ考えさせてもらってね。決心した

の」

 さくらの夫は手広く不動産の事業をしていた。夫が亡くなり、会社は譲渡したが、いくつ

かのマンションは所有している。そのマンションを、さくらのようなひとり暮らしの女性用

の撫子(なでしこ)ホームにしたいということだった。

「老人ホームなんて、いやな名前でしょ。わたしたちの世代は大和撫子になりなさいと言わ

れた世代だから、撫子ホームにしたの」

くら子とまろみは、この話はどこへ行くのだろうかと思いながら続きを待った。

「妹のかえでは、わたしがケチでなんでも貯めこんでるとか、あれこれ言いふらしているみ

たいだけどね。ほんと、昔からうそつきで信用できなくておちおち死ねないと思ってね。あ

れこれ考えて、撫子ホームを作ろうと思ったの。わたしもこの家を維持していくのは大変な

のよ。見ればわかるでしょう」

 失礼しますと家政婦が、ワゴンを押してきた。 ワゴンの上にはお茶の用意がされてい

る。

「そこで、くら子さんにお願いしたいのは、撫子ホームの企画やプロデュースなのよ」

それは、といいかけたくら子を遮ってさくらは続けた。

「K社のホームページでくら子さんのプロフィールは拝見しました」

驚きが顔に出たくら子に、さくらは続けた。

「年寄りだから、パソコンができないって思ってたでしょ。ほら、顔に書いてある。スマホ

も持ってるわよ」

くら子は頬が熱くなるのを感じた。

「話を戻すわね。くら子さんは『わくわく片付け講座』で中高年の女性のサポートをしてお

られる。企画もユニークだし、ぴったりだと思ったのよ」

「ありがとうございます。しかし…」

「シカは奈良公園で充分。さあ、佳乃さんがお茶を淹れてくれたから、冷めないうちに召し

上がってちょうだい。イチジクのタルトも焼き上がったところよ」
 
 ごちそうさまでした。とカップや皿を脇に寄せて、くら子は手帳を開いた。




 「そこで、くら子さん、さっきの続きだけど、撫子ホームの組織は、法人、つまり株式会

社にしようと思っているの」

「あの、わたしにはさっぱりお話が見えないのですが」

「お金持ちの有料老人ホームなら、たくさんあるでしょう。わたしがつくりたいのは、お金

はたくさんあるけどわたしのように子や孫がいなくて譲れない人、もしくは譲りたい家族が

いない人。そういう人たちの集う場所というか、生きがいづくりをしたいの」

「生きがいと申しましても…」

「実は計画書を書いたので、見てちょうだい」

撫子ホームは単なる老人ホームではなく、住居と隣接して職場を用意する。各自の資産の一

部は専門家に運用を任せる。あとは、株主として、「株式会社撫子」に出資する。

株式会社撫子には、撫子キッチン、撫子チャイルド、撫子ビューティ、撫子カフェ、撫子ケ

アの五部門を作る。撫子キッチンは食堂とお弁当の宅配。チャイルドは保育所。ビューティ

はエステやヘアメイク、ネイルなどの美容部門、ただしここは50歳以上の女性限定。撫子カ

フェは喫茶店で、コーヒーを一杯飲んでもらえば、嫁の愚痴、舅姑の愚痴、介護の愚痴な

ど、愚痴をきいてもらえる。

ここは、相談所でもカウンセリングの場でもなく、ただ、愚痴をこぼす井戸端会議の場であ

る。

撫子ホームの入居者であり、出資者は、それぞれ、働く場を選び、体調に合わせて出社す

る。もちろん、すべての場に専門家を配置し、撫子たちはお手伝いである。料理の得意な者

はキッチンへ、子育てなら自信があるという者はチャイルドへ。美容に興味のある者はビュ

ーティーへ。人の話を聞くならという撫子はカフェで仕事をする。撫子ケアは介護事業所で

ある。

地域の高齢者介護を担うとともに、撫子の介護が必要になったときにはサポートをする。

 撫子たちの報酬はわずかだが、株主としての配当を受け取る。また、ホームであるマンシ

ョンの一角には、歯科、眼科、内科、外科、整体などの診療所に入居をしてもらい、地域医

療と共に撫子たちの健康管理をする。

撫子たちは資産があっても使い途がなく、また、社会に役に立つことをしたいと思っても、

年齢を理由に活動できる場を与えられることは少ない。そういう眠っている力と資金を社会

の資産として生かそうという試みである。



 株式会社撫子はNPOでもボランティアでもないので、事業として収益をあげられるように

運営していく。もちろん、法律や税金、経営などの専門家も顧問として加わる。

 そして肝心なのは、入院すれば、医療や看護とは別に気の合った他の撫子が身の回りの世

話をする。また、寿命を全うして亡くなった場合に、希望者には「撫子の墓」を用意する。

これは共同墓地のようなものである。

 手続きとして、生前に弁護士立会いの上、遺言書をつくり、延命措置について、葬式はど

うするか、誰を呼ぶかまで決めておく。もちろん、書き換えは自由である。遺産は、特に指

定がなければ撫子ホームに寄付される。ざっと、このようなことが記されていた。

 これは、さくらの夢物語なのだろうか。それとも本気でこの計画を立てたのだろうか。

半信半疑のくら子を見透かしたように、さくらはにやりと笑った。

「ちゃんと、コンサルタントに相談して、採算がとれる見込みは立っています」

「そうですか。すごいプランですね。ひとつ質問させていただいてよろしいでしょうか」

「どうぞ、なんでも」

「どうして女性のホームなのですか」

「理由は4つあります。第1に女性のほうが長生きであること。第2に女性のほうが元気でエ

ネルギーがあり自立していること。第3に男性が入ると、たとえ80歳でも色恋のトラブルが

発生するから。第4に女性のほうが頭が柔らかく、順応性があること」

 おとなしく聞いていたまろみが、下を向いて、女性でも頭の堅い人はいるけどなあとつぶ

やいたのをさくらは聞き逃さなかった。

「それはそうよ。でもね、まろみさん、資産を持っている男たちの多くは会社の元社長だ、

元なんとかだっていう人が多いでしょ。そういう人たちは引退しても気持ちは社長や、なん

とかのままのお山の大将なのよ。人を動かすことはできても、いまさら自分が若い人の下で

働くなんてとんでもないって思うわよ。それに仕事ばかりで、家事や育児、親の介護まで妻

に任せてきた人にゴルフ以外に何ができるっていうの?」

「はあ、そう言われれば、そんな気もしますが」

「それに、今の社会のシステムを作ってきたのは男たちなのだから、自分たちのことは、自

分たちで考えればいいのよ。くら子さん、ゆっくり考えてちょうだいね。

具体的な仕事や報酬については、今週中にメールを送りますから。それを見て、決めてちょ

うだい」

 戸田邸をあとにした二人は、さくらの毒気にあてられたような気がしていた。

「くら子さん、どうします?」

「まだ、考えられない」

「そうですよねえ。しかし、スーパーおばあちゃんだ」

「おばあちゃんだなんて言ったら、怒鳴られるわよ」
 
ほんとだ、とまろみは首をすくめた。

「しかし、さくらさん、確か78歳でしたよね」

「そのくらいかな。でも、あのプランはすごいわよ。ひとり暮らしで資産をもっていると、

詐欺とかいろいろあるから不安を持っている人も多いと思う。それに、ひとりで病気になっ

た時とか認知症の不安、エンディングの問題もカバーされてるから安心だし、なにより人の

役に立つという生きがいになるのがよいかもしれない」

「そうですねえ。しかし、なんとか財団とか、NPOでなくて、やっていけるのでしょうか」

「さくらさんの資産をかなりつぎ込むんじゃないかな」

「なるほど、でも資産には限りがあるでしょう」


「たぶんね。だけど、そのあたりもきちんと数字を出しておられるから話をされたのだと思

うわ」




 3日後、さくらからの書類が届いた。まろみと二人で目を通し、くら子はどう思うと尋ね

た。

「これなら、撫子ホームがオープンするまでは忙しいでしょうけど、あとはなんとかなりそ

うですね」

「わたしもそう思う」

「しかし、『わくわく片付け講座』の時は居眠りしてて、遺産はメダカに残すとかいってた

のに、こんなことになるとは」

「きっかけになったのかもしれない。これも、老前整理の形のひとつだもの」

「そうですね。無駄じゃあなかったわけか」

「そう考えることにしましょう。ところで、次の講座の案内はできたのかしら」

「あっ、まだです。すぐとりかかります、今度はどんな人が来るか楽しみですね。メダカの

次はなんだろう?」

 




★この話をブログ小説に書いていた時は、「きっかけは松花堂弁当」というタイトルでした

が、今回見なおしてポイントは撫子ホームだと思ったので、変更しました。




 









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