19 、ゴミ屋敷の男やもめプロジェクト 


     男やもめにうじが湧くのを阻止するために立ち上がったエンジェルとは?

   



 K社の事務所に4人の来客があった。

半年前に「わくわく片付け講座」を受講した御堂翔子と夫の博之。御堂夫婦と「インターネ

ット茶屋」を経営している神童実と田嶋雄二だった。

(18「卒婚のために人生の棚おろし」に登場)

 女性の来客が多い応接コーナーに男性が3人座ると、急に部屋が狭くなったように感じる。

 条件反射のように名刺を差し出した男たちを、翔子が苦笑しながら紹介した。

「今日は付添で来ました。3人で行けばいいって言ったんですけど、どうしても一緒に来いと

いうもので、小学生じゃあるまいしね」

「ええと『インターネット茶屋』はうまくいっているということで、翔子さんからお聞きし

ていましたけど、お揃いでお越しいただいたのはどういうご用件でしょうか」

 御堂博之が、おほんと咳払いをしてから口火を切った。

「実は男性向けの片付け講座開催のお願いと、もうひとつの企画にお知恵を拝借できないか

と思いまして」

「男性向けの片付け講座ですか。また、どうして?」

 野球帽を手にしている神童が、それはわたしが説明しますと続けた。

「松竹梅さん、いえ、くら子さんでしたね。女性を名前でお呼びするのは何だか照れ臭くて

…そんな話はさておきまして、実はわたしたちの共通の友人の鴨田のことなんですが」

 鴨田敬三は長年務めた繊維会社を定年退職し、現在無職である。妻を5年前に亡くし、娘は

北海道へ嫁に行き一人暮らしだ。暇なもので毎日開店と同時に「インターネット茶屋」に来

て閉店までパソコンに向かっている。

家にはパソコンがあるのだが、なぜそうなったのかといえば、帰りたくないからである。妻

が亡くなってから掃除をしたことがなく、妻の遺品の整理もしていない、というより辛くて

できないのである。そして自らがゴミ屋敷と呼ぶほどになってしまった。

 そんな自分が情けなく、女々しい気がして外を出歩いている。

弁当を買いに行った帰りに、偶然「インターネット茶屋」をのぞき、20年ぶりの再会となっ

た。

「他にも似たような人がいまして『男やもめにウジが湧く』の言葉通り、カビやキノコの生

えた家に住んでいるようです。しかしこういう輩に限って、片意地で人に助けてもらうのを

拒むもので、我々も手が出せない状態なのです」

 くら子が男性向きの片付け講座を開かなかったのは、女性と男性では片付けの考え方も、

状況も違うからだった。神童の話のように男性の場合は社会からも孤立している場合が多

く、またこのような講座に参加しようという発想も無かった。

 友人や家族からの援助さえ拒む人を無理やり引っ張りだすことはできないと思っていたか

らだ。

「少し、考えさせてもらえませんか」

くら子は気軽に引き受けられることではないと思った。

 神童は頷いてではもう1つと、次の相談に移った。

同じように、ひとり暮らしの男性向けの料理教室を兼ねた食事会を開きたいとのことだっ


た。




「男性向けの料理教室なら、最近は色々あると思いますが」

くら子は首をかしげた。田嶋がじれたように付け加えた。

「いや、料理が中心ではなくて人と話をしながら食べることが目的なんです。ついでに簡単

な料理も覚えられれば一石二鳥」

「つまり、コミュニケーションの場ですか」

3人はそうですそうですと声を合わせた。

「鴨田もそうですが、朝昼はパンやカップラーメンで、夜はスーパーで弁当や総菜を買って

帰るようなのですが…」

「実は、今の店の隣の酒屋が廃業の危機でして…」

 くら子の驚いた顔に、御堂博之がこのご時世でして、ビールや酒が売れないそうですと答

えた。

 椅子が足りなくて、隅で折りたたみ椅子に座っているまろみが素っ頓狂な声をあげた。

「お酒もビールも売れなくて、酒屋さんは何を売っているんですか」

 博之がこちらの話の責任者らしい。

「それが、都会で出回っていない小さな酒蔵のうまい焼酎だそうです。そういう焼酎は量販

店やスーパーでは売ってませんから」


 そういえば、昔の御用聞きのように酒屋がビールや醤油を配達することも無くなった。今

はスーパーや量販店、果てはコンビニで何もかも買えるのである。

「それで隣の店は焼酎だけ売るカウンターを残して、あとは食堂というか、料理教室という

かそういうものにならないかと思ってご相談にうかがった次第でして」

翔子がしびれを切らした。

「ほんとに、じれったいわね。くら子さんには確かお友達に料理研究家がいるとまろみさん

からうかがっていましたので、その方に料理の指導をお願いできないかということなので

す」

「ご紹介はしますが、引き受けてもらえるかどうか」

くら子は美知が世界の料理や介護職の料理教室を開きたいと言っていたのを思い出した。

「そういえば、まろみちゃんはミッチー先輩の料理教室の生徒になるって言ってなかっ

た?」

「はい、そうなんですけどどうも企画倒れのようで…お料理はうまいんですけどねえ」

まろみは残念そうだ。

「それならいけるかもね」くら子はほくそえんだ。

 博之が身を乗り出して「やもめ食堂」というのはどうでしょうと提案した。

それはストレートすぎるとか、似たような名前の映画があったとか、口々に好き勝手なこと

を言い出した。くら子が立ちあがって一同を見まわした。

「わかりました、では問題を整理しましょう。ちょっと待ってくださいね」

まろみも手伝って事務所の隅からキャスター付きのホワイトボードを引っ張り出した。

「この企画は料理教室ですか、それとも食堂ですか?」

3人の男たちは顔を見合わせた。食堂だよな、そうそう、食堂だけど料理もするんだ。

 くら子はホワイトボードに大きく○○食堂と書いた。

「それでは、これは『男やもめプロジェクト』ですね」

くら子の言葉に、男たちは背筋をすっと伸ばした。

長年のサラリーマン時代の経験で『プロジェクト』という言葉に反応するらしい。これは良

い兆候だ。

「ではまず、なぜこのプロジェクトが必要なのでしょう」

神童が手を挙げた。

どうやら『プロジェクト』から、昔の会議の習慣が蘇ったらしい。

「鴨田をはじめとした、ひとり暮らしの男性に活気を取り戻して欲しいからです」

田嶋がそうなんだよなあ、ほんと、しょぼくれちゃってとつぶやいた。

翔子が手を挙げた。

「それに、食生活に問題があります。カップラーメンやお弁当では野菜が足りませんよ。今

は良くても、食生活の問題は3年後、5年後に体の異変に現れると思います」

「刺激のない生活を送っていると、早くボケるって聞きましたよ」

まろみの放ったひとことに一同は黙り込んだ。

「それでは、活気を取り戻すにはどうすればよいでしょうか」

そりゃあ、生きがいとか世の中の役に立つことですよと、自身の経験から翔子は答えた。

「ロマンスがあれば、いっぺんに元気になりますよ」

まろみの願望に、博之がそれもいいなあと呟いたので、翔子ににらまれた。

くら子は苦笑して、ロマンスに年齢は関係ないですからねと続けた。

「このプロジェクトは皆さんが運営なさるのですか、それとも酒屋さんが?」


「我々です。酒屋のご夫婦に家賃を払ってスペースを借りる形にできればと思っています」





 くら子はホワイトボードに検討する点を書いていった。集客、宣伝方法、利用料、会員

制? 日程、時間帯、回数、運営スタッフ、組織、男性限定? 予算、設備投資、収益性

…。

 男たちは手帳にメモを始めた。

「このあたりのことは具体的に詰めないといけませんね」と博之が頭をかいた。

「そうですねえ、『インターネット茶屋』と同じように、事業計画が必要かもしれません」

 カフェや雑貨の店を開きたいという女性の多くは夢を語るのに忙しく「事業計画」という

と黙り込むが、長年会社で予算や売り上げの計画を立ててきた男性には抵抗がないようだ。

 4人が宿題を抱えて帰った後、くら子もまろみもソファーにへたり込んだ。

「男やもめお助け隊みたいですね」

 まろみのつぶやきにくら子は苦笑した。

「お友達の鴨田さんや、元気のない男性陣にハッパをかけたいんでしょうね」

「なんでおひとりさまの女性は元気で、男性は元気がないのでしょうか」

「よくわからないけど、男性は仕事中心で、ご近所とか、友達とか、会社以外の付き合いが

ないからかもしれないし…女性より社交性がないなのかもしれない」

「社交性?」まろみは首をかしげた。

「ある意味、肩書がある会社の中での内弁慶かな」

「でも、バリバリ仕事をしてきた人たちでしょう」

「会社で部長だとかなんだとか、肩書を演じて仕事の話はできるけど、1人の人間としてどう

いう役をすればいいのかわからないのかも」

「そんなもんですかねえ」

「本当のところは本人にしかわからないんじゃない。いや、本人もわからないから戸惑って

いるのかも」

「ところで、翔子さんのお土産のお菓子があるんですけど、お出しするのを忘れていまし

た」

「まあ、それを早く言ってよね」

 まろみが白い箱を開けると、オレンジの香りがふわっと広がった。

「おいしそう。紅茶を入れますね」

 オレンジの酸味と程よい甘さのふんわりしたスフレは極上だった。

「これ、翔子さんの手作りみたいですね」

フォークを入れると柔らかい生地がきれいに切れる。

「きっと『インターネット茶屋』でお茶と一緒に出してるのよ。さすがだわね」

「ほんと、翔子さんは貫禄が出てきましたねぇ」




 ノックと共に事務所のドアが開き、こんちは〜と大きな声がした。

うわっ、ミッチー先輩だ。くら子はまろみに目を向けた。

「いや、あの美知さんから近くに来ているってメールをもらったので、事務所に来ませんか

と返信…して」

まろみは肩をすくめた。

「それならちょうどいいわね、男やもめプロジェクトの話をしてみましょう」

 ソファーに座った美知は、何を食べたの? と訊いた。

「ほんと、先輩の鼻はごまかせませんね。オレンジスフレです。まろみちゃん、一切れお持

ちして」

 くら子の言葉を待つまでもなく、まろみはお茶の用意を始めていた。

 美知はくら子の学生時代の部活の先輩で、料理研究家である。

(8、ペルー料理のレシピが見つからない 登場)

 料理教室の話をすると、美知は興奮し大きな体を揺らした。

「いいじゃなぁい。ところで男やもめって幾つぐらい?」

「そうですねえ、50代から60代というところでしょうか」

 くら子は実際より10歳ほどサバをよんだ。

美知はキャットフードを前にした猫のように喉を鳴らした。

「いえ、まだ決まったわけではないのですが、こういう企画があるということでご相談を

…」

「くら子に頼まれたら、いやとは言えないでしょ」

嘘ばっかりと思いながら、くら子はそうですねと答えた。

 お待たせしましたと、まろみがオレンジスフレを持って現れた。美知の腹がキューと鳴

り、スフレは三口でなくなった。


「スフレって、簡単そうでうまく膨らますのにこつがいるのよね。これ手作りでしょ。2人が

作ったとは思わないけど、レシピくれない?」

くら子は聞こえないふりをした。

「ところで先輩、『ミッチーのぐるぐるクッキング』はどうなりました?」

 『ミッチーのぐるぐるクッキング』とは、美知が5年前から企画しているユーチューブのタ

イトルである。美知の頭の中では、ユーチューブでファンができ、有名になり、料理本の出

版、テレビ出演とサクセスストーリーが出来上がっているが、未だに何も実現していない。

「それがね、料理の動画がうまく撮れないの、案外難しいのね。カメラの前で緊張してうま

くしゃべれないし、パスタは伸びたきし麺みたいに見えるし、シチューはどかっと固まって

るみたいで…」

 まろみがぷっと吹き出した。料理の写真を撮るのは難しい、動画になると絵になるだけで

なく過程の見せ方がポイントになる。そのあたりをわかっていないところが美知らしい。

「そうそう、介護食の料理教室はどうなりました」

「くら子は、余計なことまで覚えているのね。教室のチラシを作って募集したんだけど、介

護をしている人は忙しくて料理教室に来れないみたいなの」

 なるほどとくら子はうなずいた。

「だから、主婦向けのお菓子の教室にしようかと…くら子はどう思う?」

 ううむ、難しいですねとくら子は答えた。

内心、今の時代は有名パティシエでもない限り人は集まらないだろうと思ったからだ。 


 そうよねえ、わたしもそう思うと美知は珍しく弱気だった。

「だから、男やもめの料理教室で頑張ればいいじゃないですか」

まろみが美知を呼んだのはこういうことだったのかとくら子は納得した。

「わかったわ、くら子。わたしの料理教室がうまくいかないのは、このためだったのよ」

 美知は立ち上がって、両手を天へ突き出した。

はあ? また何を言い出すやら、なんでも自分の都合の良いように考える性格は変わらない

ものだとくら子は呆れ、美知を見上げた。

「神様が、わたしに使命を与えられたのよ。男やもめを救いなさいって。だから、ガンバ

ル」

まろみはにやにやと高みの見物だ。

「はいそうですか。使命ですか、それはそれは。本決まりになったらお知らせしますので、

それまでお待ちください」

「なに言ってるの。そうと決まったらレシピの準備をしなくちゃ、忙しくなるわねぇ。それ

で、さっきのスフレは残ってないの?」

もう、ありませんときっぱり答えたくら子に、それじゃあ帰るわと、美知は大きなバッグを

肩にかけて上機嫌で帰って行った。

美知さんって、ほんと乗りやすいんだからとまろみはけらけら笑っている。

「責任とってもらうからね」

くら子の言葉にまろみは震えあがった。

「いや、その、なんとかなるんじゃあないですか。ははは」

 こうして、男やもめ料理教室の話は進んでいった。




「インターネット茶屋」の4人は精力的に活動を始めた。

翔子は商店街の八百屋、魚屋、乾物屋などを廻り、食材の仕入れなどを通しての協賛を依頼

した。

 豆腐屋の店主が商店街の会長で、それならいっそ、町内のコミュニケーションの場にして

はどうかということになった。

 男やもめだけでなく、高齢者や子どもの料理教室など、皆で作って、皆で食べようとか、


地域の食材にも目を向けたらよいのでないか。一人で留守番している子どもを呼んだらどう

か。おばんざいや漬物をおばあちゃんに習いたい、年末には餅つきはどうかなどと、アイデ

アはどんどん広がった。

 翔子たちはこんなにトントン拍子に進んで大丈夫かと不安になった。

しかし商店街の店主たちも、大型スーパーに客を奪われ、何とかしなければと思いつつも手

をこまねいている状態だったから渡りに船だったようだ。

 くら子やまろみも企画に参加し「男やもめプロジェクト」は「青空商店街プロジェクト」

に変貌していった。

 3ヶ月後、翔子がK社を訪れた。

「くら子さん、この度はいろいろとお世話になりまして」

「いえいえ、これからどうなるか楽しみにしています」

 まろみがお茶の用意をしてくら子の隣に腰をおろした。

「これ、翔子さんのお持たせで〜す。商店街で企画した青空饅頭だそうです」

 白い牛皮の饅頭に「青空」という焼き印が押されていた。

つまりふつうの饅頭である。翔子がいろいろがんばってるんですけどねえと苦笑した。

「料理教室はどうなりましたか」

「男やもめという名前は人聞きが悪いということで、『男の料理研究会』になりました」

「なるほど、それで人は集まりそうですか」

くら子の問いに翔子は力強く答えた。

「それが、奥さんを介護しておられる男性とか、一人暮らしの大学生の応募がありまして、

満席になりました」

「それは良かった。ところでミッチー先輩は好き勝手なことを言ってませんか?」

くら子は一番気になっていたことを聞いた。とんでもないと翔子は手を振って、とても熱心

で皆喜んでいますと応えた。まろみもほっとしたようだ。

「料理教室のオープンには見に来てくださいね」

 2人はもちろんと声を揃えた。




 朝10時から「男の料理研究会」が始まった。

 4つの調理台に各4人ずつ計16人が緊張した面持ちで座っている。年齢は18歳から72歳ま

で。エプロンも借りものらしい花柄から、黒い腰に巻くタイプの物までさまざまで、頭も白

い三角巾から赤いバンダナ、風呂敷ではないかと思われる鳳凰柄のものまであり、カラフル

だった。

 講師の美知はピンクの割烹着で、頭に同じピンクの三角巾。

部屋の隅で翔子たちと折りたたみの椅子に座っているくら子とまろみは同じことを考えてい

た。給食のおばさんみたい! 割烹着と三角巾のピンクはカラーコーディネートなのか?

 美知が笑顔で献立の説明を始めた。

「今日は、塩サバで焼き魚、ごぼうと人参のピリ辛きんぴらと、ほうれんそうの胡麻よごし

に豆腐とわかめの味噌汁を作ります」

 美知は商店街の役員の店の品物で献立を考えたようだ。なかなかやるじゃん。

「鴨田さんはどちらですか?」

 くら子はこの教室を開くきっかけになった、男やもめのことを聞いた。

 翔子は下を向いて、クククと笑いながら頭に紫の風呂敷とささやいた。

 鴨田は一番前に座り、熱心にメモを取っていた。

 手順の説明のあと、グループで簡単な自己紹介をし、分担を決めた。魚係、きんぴら係、

ごまよごし係、味噌汁係である。

 魚係はサバの切り身を焼く、きんぴら係はピーラーでササガキを作る。

包丁を使うと時間がかかるので、便利な調理器具はどんどん使うことになっている。

 手が空いたら、互いに手伝いながら調理は進んでいく。ほうれんそうをゆですぎたとか、

サバが真黒になったとか、塩辛いかなあと味噌汁の味見をしたり、わいわいと楽しそうだ。

 美知は各グループを廻り、丁寧にアドバイスをして、赤い頬が輝いて見える。

 調理が終わり、別室の食堂へ料理を運んだ。

 4人が6人分の料理を作るので、2人分ずつ計8人分の料理が余分に作られた。この8人分は

予約制で、毎回希望者が試食に参加できるようになっている。今回は商店街の役員が顔をそ

ろえた。

 食堂でがやがやと食事会が始まり、ご飯のお代りをする者、これならうちでも作れると胸

を張る者、次は刺身に挑戦したいと言い出す者まで現れた。

 まろみは、わたしも試食したかったと恨めしそうだ。

そこへ、翔子がお2人の分はこちらにお弁当が用意してありますからと声をかけた。

 隣の「インターネット茶屋」喫茶コーナーでくら子とまろみは弁当を広げた。

「これ、料理教室と同じじゃないですか」

まろみの嬉しそうな声に、お茶を持ってきた翔子がうなずいた。

「美知さんが、くら子さんや私たちにも同じメニューをごちそうしたいと、作って来てくだ

さったんですよ」

美知さんやさしい! とまろみは箸を持った。くら子も、美知の気使いがうれしかった。





 食事を終えた3人のところへ、翔子の夫の博之がコーヒーを運んできた。

「くら子さん、これ次回の料理教室のチラシです」

 献立は、むかご飯(めし)に豆腐のハンバーグ、鶏とかぼちゃの煮物に茶碗蒸しだった。

まろみが、えーっとのけぞって翔子と博之を見た。

 2人のけげんそうな顔に、まろみはだってーとむかご飯を指差した。

「むかご飯がどうかしたの?」くら子の問いに、まろみはもう一度チラシを見た。

「ひゃー、ムカデではないのですか」

 まろみの勘違いに3人はソファーが揺れるほど笑った。腹をおさえながら翔子が説明した。

「むかご」はヤマイモのつるの実のようなもので、大きさはパチンコ玉くらい。茶色い実で

イモのほくっとした旨みがある。これは商店街の八百屋のお勧めの食材らしい。

「わたしは、ムカデが白いごはんの中に足を伸ばしてウヨウヨいるのを想像してぞっとしま

した」

 3人はまろみの描写に、うわあ、気持ちが悪いと身震いした。

「ところで、今日始まったばかりですが、料理教室の評判はいかがですか」

くら子の問いに、博之がうれしそうに答えた。

「問い合わせが多くて、うれしい悲鳴です」

それがね、くら子さんと翔子は続けた。

「肉屋の奥さんのお陰で、次回の試食の申し込みが満席になりました」

 商店街で「うまい」と評判のコロッケを揚げている房子が、毎回コロッケを2つ買う女性に

声をかけたのだそうだ。まろみの頭の上に、大きな? が浮かんでいた。

「つまり、ひとり暮らしの熟年女性に声をかけたのよ」

 翔子の説明では不十分なようだ。

「どうしてひとり暮らしってわかるのですか」




 肉屋はコロッケを買いに来る人の家族構成まですべて知っているのか、それとも超能力

か、まろみには納得がいかなかった。

「コロッケ2つでわかるのよ」

「なぜコロッケ2つなんですか、1つならひとり暮らしだってわかりますけど…」

「家族がいれば、晩のおかずに2つではとても足りないでしょう」

 若いまろみちゃんにはわからないだろうけど、と翔子は続けた。

「わたしたちの世代はね、肉屋のコロッケを1つでは買えないの。最低でも2つ買わないとお

店にわるいというか、みっともないというか…そんな風に育てられたのよ」 

まろみは腕を組んで、考え込んだ。

「そういえば、うちの母は手紙を書くとき、1枚しか書いてないのに、白い紙をもう1枚つけ
てくるんですよね」

「わたしも母から、1枚ものの紙は縁起が悪いとか、先方に失礼だとか言われて育ったから、

手紙は2枚以上にしているわ。それも関係あるのかしらねえ」

 まろみと翔子の会話をよそに、くら子はひとり暮らしの女性を試食会に参加してもらうア

イデアは表彰状ものだと思った。

 男性もそうだが、ひとり暮らしをしていると人とたわいのない会話をしながら楽しく食事

をする機会が少ない。また女性の場合はひとりで店に入って食事をすることも気後れして難

しい。(最近の女性は変わってきたようだが)

 女性の同席は男性たちにも良い影響を及ぼすだろう。男ばかりの食事よりにぎやかになる

だろうし、料理を作る励みにもなるかもしれない。女性たちにとっても良い機会である。

そのうえ、いろいろな「化学反応」が起きれば万々歳である。

「くら子さん、なにをひとりでニヤニヤしてるんですか」

 まろみの問いに、くら子は一石三鳥の話と答えた。




「男の料理研究会」は、5回、10回と回を重ね、地元の新聞社の取材を受けたことが元で、

全国から「商店街起こし」の視察団まで来るようになった。

 くら子は事務所で白い紙に鉛筆で「男性の片付け講座」と書いて??? と付け加えた。

翔子たちに企画を考えると約束したものの、そのままになっていた。

 そこへ翔子の夫の御堂博之が荒い息をして飛び込んできた。

「くら子さん、鴨田がなんだかえらいことになったので、すぐ来て欲しいと言ってます」

「なにがあったんですか」

「それが、よくわからなくてとにかく来てくれの一点張りです」

 背中で、あらら本当にやっちゃったんだという声がして、くら子は振り向いた。

「それ、どういうこと?」

 目を吊り上げたくら子に、まろみは後ずさりをした。

「いや、その、美知さんと試食会に参加した女性たちが、なんとかの会を作ったそうで、

我々は男やもめにウジが湧くのを黙って見てはいられない
とか…言ってました」

「どうして、そのことを言ってくれなかったのよ〜」

「冗談だと思ったから、まさかほんとに突撃するとは…」

「突撃って、まさか」

 壁まで追い詰められたまろみの声は消え入りそうだ。

「はい、そのまさかだと思います」

博之の車でくら子が鴨田の家に駆けつけると、玄関の上がり框に鴨田が頭を抱えて座ってい

た。

紺色のスエットの上下に、寝ぐせのついた髪をみると、寝ているところをたたき起こされた

のだろう。

2階のベランダからは布団を叩く音がする。履き物の数からみれば、女性は4人のようだ。

健太郎がしゃがんで鴨田の肩をゆすった。

「おい鴨田、大丈夫か」

「揺するなよ。大丈夫も何も…俺は二日酔いなんだ」

2階から大音量の「巨人の星」のテーマが流れてくる。くら子は迷わず、廊下の突き当たりの

階段を上った。





 ベランダで美知が「巨人の星」を口ずさみながら金属バットで布団を叩いていた。

「ミッチー先輩!」3度目にようやく美知は気付いた。

「あら、くら子、どうしたの怖い顔して」

「どうして勝手に人の家に上がり込んで、こんな騒ぎを起こしているのですか」

「騒ぎって何のこと? カビが生えそうな万年床を干しているのよ。これでは体に悪いでし

ょ」

「だからー、そういう問題ではなくてですね。ご本人の許可も無く、こんなことしていいと

思ってるんですか」

「許可? それなら、この前の飲み会の時にいいって言ってたわよ」

美知はどうだと言わんばかりにバットを片手で振り回した。

「鴨田さん、酔ってたんじゃないですか」

 多少はねと言いながら、また美知は布団叩きに戻った。

 他の部屋ではゴミ袋を持った女が、ビールの空き缶、弁当の空き箱、柿の種やスルメの残

骸などを拾って歩いている。もう1人は、洗面所のかごに、汚れた洗濯物をほうりこんでい

る。隣の洗濯機もぐぐぐと動いている。

 博之とくら子は鴨田にコートを着せて、近くの喫茶店へ連れ出した。

 ブラックのコーヒーを飲んで、鴨田は少し落ち着いた。

「鴨田さんは美知さんになにか頼まれました?」

鴨田はとんでもないと首を振って、顔をゆがめた。二日酔いがまだ残っているらしい。

「でも、美知さんは鴨田さんが了解されたと言ってましたけど」

「そんなことは…そういえば、飲み会の時にあのでっかい料理の先生が隣に来て、わたしで

よければお手伝いさせていただきますわと言ったから、ありがとうございますと答えたけ

ど、あれか?」

それだなと博之は鴨田のモーニングセットのトーストを頬ばりながらにやっとした。

「料理のことかと思ったんだよ」

「もう手遅れですね。でも帰ったら、おうちはかなりきれいになっていると思いますよ」

「確かにそうだ。すっきりして、却って良かったんじゃないか。ほんと、お前のところはウ

ジが湧きそうな有様だったからな」

 鴨田は黙り込んで、残ったトーストに手を出した。

 いやがる鴨田を引っ張るようにして家に戻ると、ベランダいっぱいに洗濯物がはためいて

いた。

 博之に押されて鴨田はムググとうめき、恐る恐る玄関を開けた。




 室内には「ひょっこりひょうたん島」のテーマが流れていた。

 トントンと包丁の音のする台所へ行ってみると、3人が食事の支度をしていた。食器を並べ

ていた美知が、あらおかえりなさいと微笑んだ。

 鴨田と博之は顔を見合わせている。

くら子は、先輩お話がありますと、美知をリビングへ連れ出した。

「鴨田さんは、こんなこと頼んでないそうですけど」

「口に出して言いにくかったんじゃあないの」

「そんな訳ないでしょ。もう、呆れてものも言えませんよ」

「それなら、黙っといたら」

しかしと言いかけたくら子を美知は遮った。

大丈夫よ、うまくやるからとウインクして美知はくら子に背を向けた。こんな時の美知には

何を言っても無駄だ。

仕方なく、くら子が家の中を見て回ると、確かにすっきり片付いていた。


ゴミや洗濯物の山がなくなり、新聞や週刊誌はきちんと積み重ねて紐で縛ってあった。掃除

機もかけたようだ。

 台所では昼食の支度が整い、鴨田と女たちが食事をするところだった。

「悪いけど、お2人の分は用意してないからね」

 鴨田は一転、女性に囲まれうれしそうで、2人には目もくれない。

くら子と博之はすごすごと鴨田邸をあとにした。

「鴨田の奴、女性に囲まれてハーレム状態だなあ」

にやにやとうらやましそうだ。くら子はぷっと吹き出した。

「ほんと、喫茶店ではあんなに不機嫌だったのに」

「あの時は驚きの方が大きかったのかもしれないな」

「そりゃあそうですねえ、二日酔いで寝てるところをたたき起こされて『巨人の星』で布団

をバンバンですから」

「帰って見ると、ゴミも洗濯物もないし、流しの汚れた食器もきれいに片付いている。怒る

より、感激したんじゃないかな。ほんとはどうにかしないといけないと思っていたけど、自

分ではどうにもならなかったんだから」

「そのうえ、温かい食事にハーレム!」




 事務所に戻ったくら子をまろみは興味津々の目で迎えた。

「美知さんの突撃はどうなりました?」

「それが、もう大変よ。鴨田さんとミッチー先輩がもめてね。ミッチー先輩がバットを振り

回して場外乱闘になって、血がドバーッで、救急車を呼ぶ騒ぎで大変だったのよ」

くら子は、額にしわを寄せてためいきをついた。

 まろみはうなだれて、わたしがもっと早く…と、机に突っ伏した。

くら子は知らん顔をしてバッグから豆大福の包みを取り出した。

 おたふく堂の包装紙を見た途端に、まろみはキッとしてくら子をにらんだ。

「うそでしょ」

「はい、そうで〜す。場外乱闘なんてありませんでした」

「もう、くら子さんたら人が悪い。今度はわたしがヘッドロックをかけますよ」

 くわばらくわばらと言いながら、くら子はお茶の用意を始めた。

 豆大福を頬張りながら、まろみに午前中の出来事を話した。

「男の料理研究会」でロマンティックな「化学反応」が起こるかもしれないと思っていた

が、くら子が投じたのはビタミン剤でなく劇薬だったらしい。劇薬は使い方を誤れば毒にな

る。今回は幸いうまくいったが、次はどうなるかわからない。

「鴨田さんは結局喜んでたんですよね。さすが美知さんだ」

「なにがさすがよ。鴨田さんが二日酔いだったからね。そうでなければ、ほんとに血の雨が

降ってたかも。そう考えると冷や汗が出るわ」

 玄関から、こんちは〜という声がしたので、2人は飛び上がった。

 あの声は…と2人は顔を見合わせた。

「豆大福のにおいがする」と美知はくんくんと鼻を鳴らし、2人の横に立っていた。

豆大福のにおいを感知できるのは美知だけだろうと、くら子もまろみも呆れた。

「くら子、今日はごくろうさん。それで相談なのだけど。その前に、お茶と豆大福をいただ

きましょう。ねっ、鴨田さん」

 えっ、と2人が首を傾けると、美知の大きな体の後ろから、頭をかきながら、どうもと鴨田

が姿を現した。

 




 応接コーナーに案内し、くら子は2人を見比べた。どうなってるの?

「ほら、鴨田さん豆大福も食べないと」

「いや、甘いものはダメなので、美知さんどうぞ」

 それじゃあ、遠慮なくと美知は鴨田の皿に手を伸ばした。

「それでは、お話を伺いましょうか」

口の周りに白い粉をつけた美知は、鴨田さんからどうぞとお茶を手にした。

「いや、あの、そのやっぱり美知さんからお願いします」

「いえ、こういうことは、やはり男性から…」

なんだなんだ、これは。まさか、まさか…いやな予感がする。

「譲りあってても埒があきませんよ」

 それでは、わたしからと美知が乗り出した。

「鴨田さんが、とっても喜んでくださってね。それで他の男やもめの人たちにわたしたちが

お手伝いできたらと思って」

 鴨田は頷いている。本当なのだろうか。くら子には朝の頭を抱えた鴨田の姿が蘇った。

 えへんと咳払いをして、鴨田は顎に手をやり話し始めた。

「くら子さん僕も始めは驚き、頭にきましたが、きれいになった部屋を見回してようやくわ

かりました。できない事は人に助けを求めればいいってね。こんな簡単なことがなかなかで

きなくて、男の涸券に関わると思ってました」

「それでね、くら子、わたしたち『リビング・エンジェル』になろうと思って」

まろみが「エンジェル?」と、肩をすくめた。美知の話はどこへいくのかわからない。

 鴨田の話によると、ニューヨークで始まった「ガーディアン・エンジェルス」をもじった

そうだ。ガーディアン・エンジェルスは犯罪防止や環境美化などメンバーがパトロールし

て、見て見ぬふりをしないというのがモットーらしい。鴨田と美知は、男やもめの部屋がゴ

ミ屋敷になったり、荒んでいくのをなんとかしたいのだそうだ。

「そこで、くら子に相談なのだけれど、K社に『リビング・エンジェル部』を作って、鴨田

さんを部長にしてもらえないかと…」

 くら子が口を開く前に、まろみが答えた。ダメです。

美知はなんでよと、まろみをにらみつけた。くら子も同感だったので付け加えた。

「K社で『リビング・エンジェル部』を運営していく力がないからです」

「そんなことないでしょ。活動はわたしたちがするのだから」

「活動はされても、最終的な責任はK社が負うことになります」

そりゃあそうだけど、と美知は鴨田を見た。くら子は2人を見て尋ねた。

「これはボランティアですか、ビジネスですか」

「ボランティアだけど…軌道に乗ったら」

「ボランティアだって、活動資金も場所も必要でしょう」

「だから、この事務所を使わせてもらって『わくわく片付け講座』でもPRもしてもらって

…」

 お話にならないと思い、一呼吸おいてくら子は鴨田を見た。

「鴨田さんはどうお考えなのですか」

「いや、その、そう言われればそうですね。なんだか舞い上がってしまって」

 「部長」というのが、鴨田をその気にさせたキーワードだろうか。

「これって、人のふんどしで相撲を取ろうって話じゃないですか」

まろみのことばに、美知は反論した。

「あんたたち、ふんどしなんてしてないじゃないよ」

 美知の目がぎらぎらして、まろみに飛びかかりそうになってので、くら子は落ち着いてく

ださいとなだめた。

「それはものの例えです。とにかく思い付きだけであれこれ言われても困ります」

「そう、わかったわよ。くら子は協力してくれないってことね」

「それから、今回のように勝手に突撃しないでください。『男の料理研究会』の方たちに

も、勝手にPRしないでくださいね」

 美知火山が真っ赤になって噴火した。

「せっかく人のためになると思っているのに、どうして邪魔ばかりするのよ」

「美知さん、くら子さんの言うとおり、我々は先を急ぎ過ぎたみたいです」

 鴨田も説得しようとしたが、美知は聞く耳を持たず飛び出して行った。

 まろみが追いかけようとしたのを、鴨田が制して出て行った。

 開け放されたドアを見つめてくら子がつぶやいた。

「あの2人はどうなってるの?」

「わかりませ〜ん」




 1週間後、鴨田が御堂夫妻と共に事務所を訪れ、頭を下げた。

御堂博之も、ほんとに人騒がせな奴でと詫び、妻の翔子は二人の保護者のようだ。

「それで『リビング・エンジェル』はどうなりました」

くら子の問いに、鴨田は博之に肘でつつかれて渋々答えた。

「まず、僕がカウンセリングの勉強をすることになりました」

「それは良いかもしれませんね」

くら子の言葉に、まろみの頭の上にいつもの? マークが浮かんだ。

 翔子は笑いながら付け加えた。

 男やもめの片付けを手伝うためには、美知のように突然押し掛けて片付けるのではうまく

いくはずがない。そうなったのにはそれなりの理由があるし、他人に干渉されるのは真っ平

ごめんだと思っている。鴨田がそうだったからだ。つまりカチカチに凍っている。この状態

を解凍するには時間をかけてゆっくりほぐしていく必要がある。この解凍の技術を学ぶため

にカウンセリングの勉強をするのである。

この役は女性よりも、同じ男やもめの鴨田が適任だろうということになった。

「なるほど、鴨田さんが解凍係で、その後がエンジェルの出番なのですね」

「あの、僕にそんなことできるのでしょうか」鴨田は自信がなさそうだ。「それは鴨田さん

自身の取り組み方の問題ですけれど『ピア・カウンセリング』というのもあるんですよ」

 「ピア・カウンセリング」とは、同じ境遇にある仲間同士でしか理解しえないことを語

り、互いに支持し合うカウンセリングのことである。

なるほどね、それならいけるんじゃないかと博之が鴨田の肩を叩いた。

「お話に夢中になってお茶が冷めましたね。入れ替えましょう」

 くら子の言葉に、まろみがソファーから腰を上げると、鴨田が遮った。

「いえ、僕は猫舌ですから、このほうが」ごくりと茶を飲んで、ふーっと息をついた。

「あら、わたしもすっかり忘れてました」と翔子が紙袋を差し出した。

「キャー、花咲堂のラスク! 紅茶を入れてきます」と、まろみはとあたふたとキッチンへ

向かった。

「それで、ミッチー先輩はどうなりました」

くら子は一番気になっていたことを訊いた。博之と翔子の目も鴨田に注がれた。鴨田はもじ

もじと居心地が悪そうだ。

「いや、あの、その、いろいろと話し合いまして。彼女は素直でやさしい人ですから…」

カノジョ? 素直でやさしい? 人違いじゃないのと思いつつ、くら子は鴨田の次の言葉を

待った。博之がお似合いのカップルかもと冷やかすと、鴨田は真っ赤になった。

冗談のつもりだったが、もしかしてと3人はぎょっとして顔を見合わせた。

「僕たち、共通点がありまして…『ひょっこりひょうたん島』が…」

「さっぱりわからんけど、ちゃんと話せよ」と博之がじれた。

「美知さんが片付けに来てくれた時に『ひょっこりひょうたん島』の曲をかけてくれて。僕

はプリンちゃんが大好きだったのですが、彼女は博士のファンだったそうで…」

なぜか「ひょっこりひょうたん島」の話になると、鴨田は饒舌だった。

 翔子は呆れて、口をはさんだ。

「リビング・エンジェルの具体的な話をしないと、くら子さんたちもお忙しいのですから」

 そうですねと、鴨田は計画を話した。

 鴨田がゴミ屋敷寸前の男やもめたちに接触し、カウンセリングをして、その後、美知たち

が片付けをするという段取りのようだ。一応、鴨田が代表者ということになっているが、鴨

田をおだてて動かしているのは美知のようだ。

「でも、どこの誰がゴミ屋敷寸前なのか、どうしてわかるのですか」まろみが訊いた。

「チラシを配って、通報してもらうのです」

 通報? 使命手配でもあるまいし、個人情報が叫ばれる昨今、そんなことが可能だろうか

とくら子は考えた。博之も同じことを考えたようだ。

「それはダメだよ。近所の人に通報されたと知ったら、ますますへそを曲げるぞ。うちの


『インターネット茶屋』に来る人や、『男の料理研究会』でチラシを配ればいいだろう」

翔子もそのほうがいいと頷いた。




 3人が帰った後、まろみがくら子に訊いた。

「ところで、あの、ひょっこりプリンってなんですか」

「えーっ、まろみちゃん知らなかったの」

まろみは、ぜーんぜんと首を振った。

「珍しいわね。いつもなら、ひょっこりプリンってなんですかってすぐ聞くのに」

「わたしは、KYではありません」

おや、それは失礼しましたと笑いながら、くら子はNHKテレビで放映していた人形劇の

「ひょっこりひょうたん島」とプリンちゃんについて話した。

「鴨田さんと美知さんは、それでつながっているんですか」

「らしいわね、いつまで続くやら。それより、来週の『わくわく片付け講座』のテキストの

準備はどうなった?」

これからですと、まろみはパソコンに向かった。

 3ヶ月後。まろみが外出先から息を切らして帰ってきた。

「どうしたの、そんなにあわてて」

くら子は何かトラブルでもあったのかと思った。

 机に両手をついて、まろみはちょっと待ってくださいと息を整えた。

「美知さんが…」

「事故にでもあったの?」くら子の顔色が変わった。

「違うんです。鴨田さんと腕を組んで歩いていたんです」

 くら子はめまいがしそうだった。またトラブルになりそうな予感がする。

「それがね、鴨田さんが美知さんにがっちり捕まえられているという感じで、なかなか見も

のでした」

「声をかけなかったの」

「そんな、恐ろしいことしませんよ」

くら子が首をかしげるとまろみは真顔で答えた。

「シマウマに飛びついて、押さえ込んでいるライオンに声をかけるようなものです」

 その頃、鴨田と美知はファミリーレストランにいた。

鴨田がシートに座ると、美知は向かいに座らず、隣に腰をすべらした。思わず鴨田は窓際に

寄ったが、それ以上動けなかった。美知は上機嫌で、レアチーズケーキセットを二つ注文し

た。

「鴨田さん、今後のことですが…」

「今後? 僕は上級コースに進もうと思っています」

 鴨田はカウンセリングの初級コースを終え、次のコースに進もうと考えていた。

まあ、いやだと美知は口を押さえ、横目で鴨田を恥ずかしそうに見た。

「わたしたちの今後のことですよ」

「わたしたち?」鴨田はぎょっとして美知をまじまじと見た。マスカラをを塗ったまつ毛が

バチバチと音を立てているようだ。

 鴨田にもようやく事態が呑み込めた。


「わたしたちはパートナーだって言ったでしょ」

鴨田は体を斜めにして美知から距離を置こうとした。

「それは、リビング・エンジェルの話で、ビジネスだから…」

ビジネス〜? と言った途端に、美知の顔が真っ赤になってふくらんだ。

鴨田が何も言えず、口をパクパクしていると、美知は急に猫なで声になった。

「それで?」

 鴨田の話を聞き終わった後、美知は「消えて」と出口を指差した。




 スマホで緊急事態だとファミレスに呼び出されたくら子は、1人でマンゴープリンパフェを

食べている美知を見つけた。

「もう、緊急事態なのにのんびりパフェを食べているのですか、信じられない」

 注文を取りに来たウエイトレスにコーヒーと答えて、くら子は腰を下ろした。

「緊急事態なのだから、しょうがないじゃない」むすっとして美知は答えた。

「何が起こったのですか」

「わたしは『男の料理研究会』の講師を辞めます」

「なるほど、それをなぜわたしに言うのですか」

「他の人に言いたくないから」

子供のようにサクランボの軸を持って振りまわしながら、美知はつんと顎を上げた。

「辞めるのは勝手ですけど、断るのならきちんと自分で翔子さんたちに話さないと」

「だって、あの3人は鴨田の仲間だから」

「はは〜ん、先輩はふられたんだ」

「わたしが二股男に引導を渡したのよ。あいつはわたしにはパートナーだとか何だとか言い

ながら、カウンセリングの教室で知り合った女に熱をあげているのよ」

そういえば、最近の鴨田は着るものもこぎれいになりコロンの香りが漂っていた。美知の影

響かと思っていたが、相手が違ったようだ。

 スプーンで生クリームをすくいながら、美知は悔しそうにわたしはトレンディな女なのに

とつぶやいた。トレンディ? どこが? と思いつつくら子はハッとした。

最近、新聞をにぎわしている結婚詐欺の女は、料理がうまくてぽっちゃり型で、一見普通の

…。それで、美知も勘違いをして鴨田に突撃したのだ。

逆立ちしても美知に結婚詐欺は無理だ。詐欺に引っかかるカモの可能性はないとはいえない

が。鴨田にカモにされなくて良かったとか、まろみなら云いそうだが。

「ミッチー先輩、鴨田さんだけが男じゃないですよ」

美知は、スプーンを持つ手を止めて、ぎっとくら子をにらんだ。

「わたしは男やもめの救世主だから、1人の男だけにかまってられないわ」

「そうですよ。先輩を待っている人が世の中にいっぱいいますから」

そうだ、そうなのよと美知はドンとこぶしでテーブルを叩いた。


「鴨田なんかあてにせずに、くら子のところで働くわ」

おっと、そうきたか、ここで計略に乗ってはいけないとくら子は力説した。

「いえいえ、先輩は料理教室にエネルギーを注ぐべきです。才能を無駄にしてはいけませ

ん。『ミッチーの男やもめレシピ』をユーチューブで発表してはいかがですか」

「そうね、ユーチューブのことを忘れていたわ。そうと決まったら、『インターネット茶

屋』のパソコンおじさんに相談しなくちゃ。くら子、お勘定よろしく」

 美知はそそくさと出て行った。 




 あの人たちには話したくないと言ったくせに、この変わりようはどうだ。

これなら「失恋の痛手」というのも吹き飛んでしまったのだろう。

ケーキセット2つに、ぜんざいセット、焼き芋ワッフル、ブルーベリーのクレープ、マンゴー

プリンパフェ、コーヒー、ほんとにこれだけ食べたの?

 わたしのお財布を救済して欲しいと思いながら、くら子は店を出た。

 事務所に戻ると、まろみが心配していた。

くら子が、美知の緊急事態は山ほどのデザートを平らげて解消したみたいと話すと、まろみ

は相変わらずですねえと面白がった。

「冗談じゃないわよ。お陰でわたしのお財布は空っぽ」

「情けは人のためならず、でしたね」

あらら、まろみちゃんに一本取られたとくら子は額を叩いた。

「もうあの人たちのことは勝手にしてもらいましょう。鴨田さんもカウンセリングに行って

元気になったみたいだし『男の料理研究会』にはおひとりさまの男たちが集まっているも

の」

「鴨田さんも美知さん以外のリビングエンジェルとはうまくいってるみたいですから」

ほんとに? くら子は初耳だった。

「鴨田さんがカウンセリングの実験台に選んだ男子大学生の処へ、リビングエンジェルが片

付けに行ったそうです」

「そこにミッチー先輩は入ってなかったの?」

くふふとまろみは笑った。

「美知さんの仕事場を片付けたのは、くら子さんではないですか」

確かに、美知の部屋はすさまじかった。

「美知さんは、大音量で音楽を流してハッパをかけるだけでなにもしないそうです」

そういえば、鴨田のところでも、ずっと布団を叩いていた。それだけだったのか。

「要するに、美知さんは『男の料理研究会』に専念してもらうのが、皆の幸福みたいです」

「それじゃあ、今日の出来事で納まるとこに納まったわけだ。今夜は厄落としにぱーっとい

きましょうか」

「鴨鍋なんてどうです」まろみはにやっとした。鴨はもうごめんよとくら子は身震いした。

「それでは、ちゃんこ鍋にして元気を出しましょう」

 くら子のいいわねえという声に重なって、後ろで甲高い声がした。

「ありがとう。まろみちゃんがごちそうしてくれるなんてうれしいわ」

キャー、美知さんだ!!

 





この話の元のタイトルは「男やもめに花を咲かそう!」でしたが、タイトルを変えました。

男性向けに『定年男のための老前整理』と、親の家や相続、空き家問題も含めて考える

老前整理のセオリー』もまじめに書いています。



 







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