8  ペルー料理のレシピが見つからない!?  


    片付けられない料理研究家のレシピが行方不明に



 
 日曜の昼時、くら子は10年ぶりに高校時代の部活のOG会に参加した。会場は中華料理店

の2階。幹事は一学年上の山岸で、どうしても出て来いと言われ断れずに参加した。

 4つの円卓を見回しても知った顔が見当たらないので、くら子は空いた席に腰を下ろした。

 後ろから肩を叩かれて振り返ると、丸い顔があった。

あの、と名前が出て来ないくら子に、「大和田美知よ。二つ上のミッチーよ。思い出した?

今回は幹事がヤマちゃんだから、くら子に来てもらうように頼んどいたのよ」

美知は隣に座った。

 幹事の挨拶と、元顧問が入院中で参加できないことが告げられ、食事が始まった。

 前菜が終わり、ふかひれスープ、エビと貝柱のXO醤炒めとコースが進んでも、美知は要件

を切り出さず、エビと貝柱をあっという間に平らげた。

 料理が出るたびに美知は写真を撮り、メニューカードに書き込んでいる。

「先輩、インスタをしてらっしゃるんですか」

「あ、くら子は知らなかったわね。わたし、今、料理研究家なの。お店の食べ歩きの記事も

投稿しているから、そのために写真を撮ってメモをしているの」

それでは私は食べることに専念しようと、くら子は北京ダック用の皮に手を伸ばした。

「ところで、くら子、この後、予定はある?」

いえ、今日は休みですからと、くら子が言い終わらないうちに美知は、この後は付き合って

ねとひとりで決めてしまった。

 美知の仕事場は、駅前商店街のはずれにある5階建てのマンションだった。

 エレベーターで3階に上がり、302号室の前に立つと、美知が眉間にしわを寄せて、くら

子、覚悟はいい? と訊いた。おぼろげながら事態を把握しつつあったくら子は、うなずい

た。

 玄関から奥の部屋までの廊下にも、床に箱が積み上げてあり、かろうじて空いたすき間を

ぬって進んだ。リビングも、本棚や二人掛けのソファーがあるが、そこにも本やファイルや

切り抜き、請求書などが散乱し、泥棒が入ったかと思うありさま。

「ご覧の通りよ。もう何が何だか分からない状態なの。レシピを探そうと思っても、どこに

紛れ込んだかわからない。探しているうちに、どんどん時間がたって。それでも、見つかれ

ばいいほうで、見つからないことも多いの。そこで、また図書館に行ったり、本を買ったり

しての、悪循環。そろそろアシスタントを雇いたいと思っているけど、片付けないと仕事も

してもらえないし…」

この話は長くなりそうなので遮って、くら子は核心をついた。

「仕事をしている時間より、物を探している時間のほうが長いのではないですか」

 そうなのよ、わかってくれたのねという風にうなずく美知にくら子は続けた。

「パソコンは使っておられますか」

「ノートパソコンがどこかに埋まっているはず」

「箱がたくさんありますけど、中身は本ですか」

「食器とか台所用品かな。年に一度は海外に行って、向うの料理の勉強をしたり台所用品を

買ってくるの」

 ただ食べているだけではない、先輩もそれなりに努力をしている。それは重要なことだ。

「海外で買ってきたものが全部、箱の中ですか」

 美知はおずおずとうなずいた。中華料理を食べていた時の勢いはまったくなかった。

「実は、『ミッチーのぐるぐるクッキング』というユーチューブを作ろうと思ってね。それ

にはテーブルコーディネートも必要だから…ぐるぐるクッキングの構想は5年前からなのよ。

ぐるはグルメのグルで、レシピだってたくさんあるし食器もそろえたの。ユーチューブにア

ップして、本を出して、テレビに出演して、有名になって…」

 美知はまくしたてた。

 今の時代、5年前に料理のユーチューブを開設していたら、それこそ今頃はテレビに出てい

たかもしれない。あくまで、かもしれないだが…5年の月日がどれほどの意味を持つのか先輩

は理解しているのだろうか。しかし、この状態でよく何年も仕事をしていたものだと、くら

子は感心し、尋ねた。

「片付けようと思われたきっかけは何ですか」

「ペルー料理のレシピがいるの1週間後に『アンデスの夕べ』という催しがあって、フォルク

ローレの演奏とペルー料理の試食会があるの」

「もしかして…」

「そう、その、もしかよ。だから、くら子に来てもらったの」

 急に愛想笑いをしながら美知は続けた。

「前からなんとかしなきゃって思ってたのよ。この前も女性雑誌の『片付けられない女特

集』を読んだの。そこには、床に物がいっぱいあるのはカオスを表していると書いてあった

のよ。このカオスは経済状態にまで影響を及ぼすから、お金が入ってこないのよ。仕事がう

まくいかないのはこのせいだなと…」

 仕事がうまくいかないのを、床に物が置いてあるせいにするとは言語道断だと思いなが

ら、口には出さずくら子は慎重に言った。

「それまでは片付けようとは思われなかったのですか」

きつい調子にならないように気をつけたつもりだったが、美知は明らかにむっとした。

「失礼ね。毎日のように思ってたわよ。だけど、どこから片づければよいかわからなくて。

だって、紙の山を移動しようにも空間はないし、切り抜きは捨てられないし…」

 そうなる前に、なぜもっと早く片付けなかったのかということばを呑み込んで、くら子は

聞いた。

「ところで、先輩はなぜわたしに?」

「始めは、あかの他人の方がいいと思ったのよ。恥をかくのは一時のことだから。だけど、

よく考えてみると、その人が『家政婦は見た』みたいに、誰かにしゃべって、それが週刊誌

に載るなんてこともありうるでしょ。山岸から、くら子の仕事のことは聞いていたの。だか

らね、くら子なら秘密を守ってくれるし」

「それでは、明日から、かかりましょうか」

美知の目が点になった。

「どうして? 今すぐ取りかかってもらえると思ったのに」

「ミッチー先輩、それは無理です。片付けに当たって、準備もありますし、ところで、キッ

チンはどうなっていますか」

 キッチンも、わずかなスペースしか空いておらず、鍋や食器が積まれていた。ここで、ま

ともな料理ができるのかというくら子の思いを読んだかのように、美知は、わたしはプロだ

からねと胸をはった。レストランの厨房を見たことがないのですかという言葉が、喉まで出

かかったが、かろうじて抑えた。

「バスルームはどうなってます」

「くら子、トイレに行きたいの」

「違いますよ。スペースがあるかどうか見たいのです」

「ここではシャワーを浴びるくらいで、ほとんど使ってないの」

やっと、空きスペースが見つかったと、くら子はほっとした。次にいつもバッグに入れて持

ち歩いているスケールで部屋の寸法を測った。

 じっくり紙類を見ると、DM(ダイレクトメール)や新聞の折り込みも多いようだ。くら

子は昨夜、ラジオで聞いた話を思い出した。

 アメリカでは、日本以上にDMがたくさん送られるらしく、一生の間に送られてくるDM

の量は、八カ月分くらいの膨大なごみの量になるそうだ。

 量に恐れをなしていては、この仕事はできない。それにミッチー先輩はどうにもならなく

て、わたしを呼んだのだから。できるだけのことはしなくてはと気を取り直した。

「それでは、明日、おうかがいします」

「くら子、頼むわね」と、美知はくら子の手を握った。

 握力も昔と変わらないんだなあと思いながら、くら子はマンションをあとにして、事務所

のスタッフのまろみに明日の予定変更の電話をかけ事情を話すとまろみが聞いた。

「レシピはネットで調べられないのですか」

「現地の人に習ったんだって。とにかく、何をするにも、片付けないとどうにもならないの

よ」

「アンデスの埋もれたレシピ…なんて、神秘的。それにロマンティック。ハリソン・フォー

ド主演だったらもっと良いのに」

「励ましのお言葉、ありがとう」

 翌朝、マンションを訪れたくら子を迎えたのは、美知の寝不足のむくんだ顔だった。

「ミッチー先輩、キッチンタイマーはありますか」

「どこかにあると思うけど…」

ふむ、やはりとひとりごちて、くら子はカバンからタイマーを取り出した。

「なんなのよ、それ、卵でもゆでるつもり?」

「残念でした。これで時間を計りながらやります」

お好きなようにと、美知は肩をすくめた。

「まず、一番の目的はレシピを探すことですね」

くら子は念を押した。

「でも、片づけながらでないと、レシピは見つからない」

美知はこっくりとうなずいた。

「それではまず、リビングのこの部分のスペースを畳2枚分空けます」

「でも、ここのものはどうするのよ」

「バスルームです」

「どうして、わざわざそんなことしなければならないのよ」

「本当は、もっと近くにスペースがあれば能率は上がるのですが、ぜいたくをいってられま

せん。とにかく取り掛かりましょう」

 くら子が持参した古いカセットデッキのボタンを押すと漫画[巨人の星]のテーマが流れ

た。

 美知は一瞬ポカンと口をあけ、その後、涙を流して笑い転げた。

「昔、先輩はこの歌を聴くと元気が出るって、替え歌にして歌ってたじゃあないですか」

「くら子、よくそんなこと覚えてたわね」

「一緒に無理やり歌わされたのだから、忘れられませんよ。とにかく、この曲を聴くと先輩

はやる気が出ると思って。それでは、先輩は右側の山、わたしは左側、時間は15分。どちら

が早く終わるかです」

 美知は学生時代から、負けず嫌いだったので、くら子と競うことになると急に眼の色が変

わり、どさっと抱えて、バスルームに持ち込んだ。

 タイマーのぴぴぴという音が鳴る10秒前に、三畳ほどのフローリングが見えるようになっ

た。



                 
 くら子は折りたたみのコンテナボックスやファイルボックスを組み立て、ラベルを貼っ

た。本、切り抜き、レシピ、請求書や領収書などの書類、その他と書いてある。また、大き

なごみ袋も破れないように二重にして用意した。

「ミッチー先輩、まず、この空いたスペースで作業をします。本はここ、新聞、雑誌の切り

抜きはここ…先輩のレシピはここです。分類できないものは取りあえず、その他に入れてく

ださい。それから、DMや、通販の本、チラシはこちらのごみ袋に入れてください。中身をぱ

らぱら見てはだめです」

「見なければ、わからないでしょ」

「見てたら一年たっても終わりませんよ。通販やDMは申し込みの期限がありますから、期限

の過ぎているものは全部処分する」

「だって…」

「レシピが見つからなくても良いのですか。今度はこっちの山が先輩、わたしは壁際の山で

す。始めますよ」

 わかりましたと、美知は渋々作業を始めたので、くら子はまたカセットのボタンを押し、

30分のタイマーをセットした。

 ぴぴぴぴとタイマーが鳴った時には、膨れあがったゴミ袋が4つになった。

「なんだか、ほとんどゴミだったみたい」

 ふーっと息を吐きながら美知は肩の力を抜いてつぶやいた。

「なぜ捨てられなかったのだろう? 簡単なことだったのに」

「捨てる基準を決めていなかったからですよ。いつか見るだろうと思っているものは、溜ま

るばかりで、二度と見ることはないものなんです。だって、その頃には、次に見るものが待

っていますから、いつかというのは来ないのです」

 そうよねえと、腕を組んで美知は部屋を見渡した。

「それに、これだけあると、どこに何があるかも覚えていないから、結局、無いのと同じ

で、情報としては使いものにはならないんです」

「確かに」

「一番の問題は、今回のペルー料理のレシピみたいに、探すのにとてつもなく時間がかかる

ことです。とにかく、やってみましょう。今度は60分でタイマーをセットします」

 くら子が「巨人の星」を止め、ボサノバの「おいしい水」をかけると、部屋の空気が優し

くなったような気がした。美知も気が付き、手を止めた。

「なんだか、ほっとするわね」

そうなんですよと、くら子は頬笑みを返した。

 「わくわく片付け講座」でも、片付けをする時は、BGMに音楽を流すのを勧めている。は

じめは、なかなかやる気になれないので、鼓舞するような元気の出る曲。ある程度、流れが

つかめ、落ち着いたら、心地よい曲を流す。音楽の癒し効果もいろいろ云われているが、こ

れも、片付ける環境作りのひとつだと考えている。

 美知の作業スピードも徐々に上がっている。やり方がわかれば、あとは単純作業になる。

ぴぴぴぴとタイマーが鳴って、60分終了。

「先輩、休憩です。そろそろお昼ですし、外へ何か食べに行きましょうか」

「もうちょっとで、この山が片付くから…」

「山は逃げませんよ。それに、無理をするとあとが続きません。私はお腹がペコペコです」

「くら子は昔からよく食べたわよね。わかった。何か作るから」

「ミッチー先輩の手料理ですか」

「そんなに、びっくりすることないでしょ。私の仕事は料理をすることなんだから。そうい

えば、くら子にごちそうしたことはなかったわよね」

 美知は立ち上がって、ゆっくり背伸びをした。

「簡単なものでいいかしら」

「はい、ぜいたくは申しません」

 調理スペースのものを横に移動させ、狭い空間で美知は作業をした。

 ランチは、アンチョビのパスタにトマトとおくらの冷製サラダとエスプレッソ。

 ボサノバがゆるやかに流れる中、くら子は美知の料理を味わった。

「ごちそうさまでした。おいしかったです」

「ここで料理教室もしたいのよ」

「片付いたら、できますよ。世界の料理を教えるのですか」

「それもあるけど、高齢者向けの介護食をしたいと思って…」

 くら子は美知の意外な言葉にむせた。

「食べることが楽しくなるような、介護食を考えてるの。介護する家族が簡単に作れて、お

いしいもの」

「それはいいですね」

 二人は皿を洗い、作業を再開した。

「ミッチー先輩、ペルー料理のレシピは、黄色い紙に書いてあったのですよね」

「そう、途中の空港で買った、黄色いリーガルパットに書いたのよ。レシピさえ見つかれば

…」

「片付けをやめますか?」 くら子は真顔で聞いた。

「ここまできたら、やめませんよ。この調子でやれば、ユーチューブや料理教室も夢じゃな

いしね」 
                                    
 良かった、このまま中途半端に終われば、すぐに元の木阿弥になる。始めは片付けようと

意気込んでも、がんばり過ぎ、最後まで続かない人も多い。時間がかかっても、大変でも、

一度片づけると、すっきりした心地よさを実感できる。まずは、この成功体験が重要であ

る。くら子は美知に、料理教室を開いて欲しかった。

 3時のティータイムの後、次の山に取りかかった。くら子は美知と背中合わせになり、本、

書類、切り抜き、雑誌、DM、チラシなどを分けていった。山の数は減ったが、その分、ゴ

ミ袋の数が増えた。ゴミ置き場へ2人で3往復して、リビングの床も3分の2のスペースが空い

た。

 窓を全開し、ほこりがたまっている空きスペースにざっと掃除機をかけると、淀んでいた

空気が浄化されるような気がした。カーテンが、揺れている。

「風が通るって、こんなに気持ちの良いものなのねえ」

 くら子は美知の変化を喜びながらも、ペルー料理のレシピは一体どこにあるのかと考えて

いた。

美知はこれだと掃除も苦にならないと上機嫌である。そして突然かがみこむと何かを拾い上

げ、オーマイゴーとバンザイをして叫んだ。

「先輩、大丈夫ですか」

見つかったのよぉーと美知は、緑の石が縦に三つ並んだピアスを手の平に載せた。

「クスコの土産物店で一目ぼれして、買ったエメラルド。給料の何カ月分っていう値段で一

生ものだと思っていたのに。片方落として…外で失くしたと思ってたのだけれど…あったの

よ」

 くら子の経験では、本の間から現金や商品券が出てきたり、失くした結婚指輪発見などは

よくあることである。こういう思いがけない喜びは、片付けのおまけのようなものだと思っ

ている。美知の興奮がおさまったところで、くら子は作業の再開を宣言した。

「ミッチー先輩、次はバスルームに運んだものの整理です」

「そういえば、あそこにもまだあったわね」

 2人で、空いたスペースにまた、一抱えずつ運んだ。タイマーをセットし、カセットを美知

があった! と声をあげた。レシピは、通販のうまいもの案内の冊子の間に挟まっていた。

これ、これよ。こんなところにあったのねと涙を流さんばかりである。

アロス・コン・パト、セビーチェ、パパアラ・ウアンカイナ、デザートはアフファホーレス

…。

 くら子には、どんな料理か想像もつかないが、足りないレシピはないらしい。

「アンデスの夕べ」に間に合いそうですね、と言いかけたくら子の手をしっかりと握って、美

知は、声を震わせた。

「本当にありがとう、くら子。いくら感謝しても足りないくらいよ」

「そんな大げさな…」

「レシピは見つかったし、このまま片付ければ、料理教室も夢じゃなくなったもの」

 くら子は、今日の作業は不要なものを捨てただけで、整理までには至っていないことを説

明した。

 通販のカタログを見せて、本棚を一つ購入し、そこにきちんと本を並べること。料理の切

り抜きやレシピを、ファイルにまとめ、ラベルを付け、どこに何があるかわかるような、リ

ストを作ること。食器や調理用具は写真を撮ってリストを作り、使えるようにすることな

ど、思いつくことを紙に書いて渡した。できれば、パソコンを使ってデータを作るのが望ま

しい。そういえば、どこかに埋もれているはずのパソコンは、未だ行方不明だ。

「はい、はい、わかりました」

 美知はレシピが見つかったことで、もう片付けが済んだと思っているようだった。

 マンションを出たくら子は、これでよかったのかと思いながら、早く帰ってお風呂に入り

たいと、足を速めた。

 2ヶ月後のバレンタインデー。

事務所へ美知から宅配便が届いた。小さな箱を開けると美知が作ったザッハトルテで、カー

ドが添えられていた。

「くら子さま おかげで片付いたし、来月から料理教室を開きます。ユーチューブデビュー

もしたから見てね、よろしく! 美知」

"おいしいものは人を幸福にする"これは誰の言葉だったかしらと思いながら、くら子は濃厚

なトルテを味わい、終わりよければすべてよし、とひとりごちた。
   







★なぜペルー料理なのかは…ブログ ケーナとサンポーニャ をご覧あれ。


その後の2019年5月1日よりでYouTube「みらくる日記」でロボットの動画をアップ


しています。(ブログでも紹介)


まさかこのブログ小説を書いていた時には、まったく想像もしない事でした。





 








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