21 、インドで瞑想すると人生が変わる?


  再開した講座にサリーを着た女性が現れたがはたしてこの人は?

  



 宮本正美の事件(20 サポーター殺人事件)から嵐に巻き込まれたような3カ月が過

ぎ、くら子とまろみは平凡な毎日のありがたみを痛感していた。皮肉なことにK社の知名度だ

けは上がった。

いつのまにか、夫をうまく片付けて保険金を受け取る方法を教える「わくわく片付け講座」

と呼ばれていた。焦って否定するとますます炎上するだろうと、くら子は一切反論をしなか

った。この対処法がよかったのかどうかはわからない。ただタレントや有名人でもないし、

炎上の火消しにエネルギーを費やすことが虚しかった。これでダメになるならそれだけのも

のだったとあきらめるしかないと腹をくくった。

 炎上効果かホームページのアクセス数も3ケタ違うほどの数になり、問い合わせや迷惑メー

ルも増えたがようやくそれも落ち着いた。

 明日の「わくわく片付け講座」は事件後、初めての講座である。恐る恐る募集をすると定

員は30分で埋まった。良くも悪くも2人はマスコミの力を思い知らされた。

「キャンセル待ちが出るなんて、初めてですね」

感激してまろみの頬は紅潮している。

「あと2、3カ月のことよ」

「人のうわさも75日ですか」

「よく知ってるじゃない」

バカにしないでくださいと言いながら、鼻歌交じりでまろみは講座の資料を確認した。
 




 翌日、会場の準備をしながらまろみは窓から青い空を見上げた。

「どうしたの、まろみちゃん?」

「いえ、こうしてまた講座ができてうれしいなと思って」

「あら、まろみちゃんでもそんなことを考えるのね」

そういう言い方はないと思いますと、まろみは受付に座った。

まろみが講座で配る資料をテーブルに並べていると、横から声がした。

顔を上げると、三つ編みの髪を背中に垂らし、玉虫色に光るサリーをまとった女性がいた。

といっても顔つきは日本人である。だからといって必ずしも日本語が通じるとは限らない。

この施設でインド舞踊の講座はあったかしら? 今の声は、あの? それともハロー? と

迷いつつ、まろみはなんでしょうと答えた。

「受付は1時半からと書いてありましたが、迷ってはいけないと思って早めに出たら早過ぎま

して、まだ10分早いのですが…」

 日本語でほっとしたのと同時にまろみはあわてて立ち上がり、失礼しました「わくわく片

づけ講座」にお越しですか? とたずねた。

「はい、正宗初実です」

まろみは名簿の一番上の名前を確認した。

「もう準備はできていますので、どうぞ」と部屋に案内した。

 受付に戻ったまろみは、初実の受講申込書を見た。

受講の動機はインドに行って色々考え、シンプルな暮らしをしたいと思うようになりました

と書いてある。
 




 時間になり、くら子のあいさつと共に「わくわく片付け講座」が始まった。

 サリーを着た女性に興味があったので、まろみは参加者の自己紹介を楽しみにしていた。 

 初実の番になるとすらりとした立ち姿が凛として美しく、まろみはステキとつぶやいた。

「正宗初実です。わたくしがこの講座の参加したのは、モノを一掃したいと思ったからで

す。実は、わたくしの夫は某外食チェーンの会長です」

えっ、どこのお店? という声がひそひそと交わされ「サリーを着た変わり者」を見る目か

ら羨望へと、まなざしは変化した。

「わたくしはこの20年余り、常に『会長の奥さん』と呼ばれてきました。それが我慢できな

くなったのです。元々わたしたちは貧乏でした。結婚2年目に夫の父親の経営する工場がつぶ

れ、2人でリヤカーに生まれたばかりの赤ん坊と、野菜や干物を載せて行商から始めたので

す」

そういえば週刊誌でそんな話を読んだことがあるとささやく者がいた。

「行商から店を持ち、それがこぎれいなレストランになり、全国にチェーン店を持つまでに

なりました。しかしわたくしと夫の距離はそれに比例して離れて行きました。子どもも独立

し、わたくしにはすることがなくなったので、死ぬまでに行きたいと思っていたインドに行

きました。ガンジス河で沐浴し、アシュラムと呼ばれる道場で座って瞑想ををする日々を半

年送りました。そこで気付いたのです。このサリーを着ていると、快適に過ごせることに。

それに1枚の布ですから畳んでも場所をとりませんし、寒ければ上にカーディガンやオーバー

を羽織るだけで一年中着られる。スカートの丈や流行に惑わされる事も無い、体型が少々変

わっても大丈夫。そして食事も毎日カレーでしたが、これがおくらのカレーや、豆のカレー

などヴァリエーションが豊富で飽きません。野菜中心で健康的な上、便秘も解消しました」

 この「便秘も解消」というキーワードを秘かにインプットした者は多かった。

「それに今夜のおかずはと、あれこれ悩まなくてもカレーに旬の野菜を入れれば良いので

す。つまりサリーとカレーであたくしの人生は一変しました」

だんだん熱を帯びてきた初実に、参加者はあっけにとられた。
 




「日本に帰って、サリーを着たわたくしの姿を見た夫は、暑さで脳みそがやられたのか、み

っともないからそんなかっこうで外に出るなと言いました。そしてカレーを作ると、病人じ

ゃあるまいしこんなどろどろしたものが食べられるかと、皿をひっくり返しました。夫には

愛人が2人います。1人は元秘書で、もう1人はクラブのママです」

 あらら、あっけにとられてまろみはつぶやいた。くら子は成り行きを黙って見ていた。

「そんな夫との距離はますます開きました。インドで瞑想してわかったのです。宝石をじゃ

らじゃらつけて着飾ったわたくしをほめてくださるのは、夫の機嫌を取るためのおためごか

しだったということが。そんなこともわからず喜んでいた自分が馬鹿みたいに思え、自立し

て1人で暮らしたいと思うようになりました。夫は2人の彼女に面倒を見てもらえば良いので

す。インドでの発見を無駄にしたくないと思いついたのが、やはりサリーとカレーです。店

を借りて半分はカレーを食べてもらうレストラン、あとの半分でサリーを売ります。店の者

は全員サリーを着て、もちろん着つけの教室もします。お好みのサリーを着て写真が撮れる

コーナーも作りたい。夢はどんどんふくらみます。そこで資金が必要ですが、夫の会社の株

を少々持っていますのでそれをもとに、あとは腕時計や宝石を売ろうと思っています。洋服

はリサイクルショップに出します。そのため3つのクローゼットを整理する方法を学ぶために

この講座に参りました」
 




 腰をおろしかけた初実は、また立ち上がった。

「お店をオープンするのに、働いて下さる方を募集しています。若い子でなく人生経験のあ

る熟女が、きちんとおひとりおひとりに応対する店にしたいと思っています」

ようやく終わったかと思ったら、まだ続きがあった。

「もちろん、素敵なサリーを着てお仕事をしていただきます」

あの、初実さんに質問していいですかと高山孝子がくら子に訊いた。

予想外に自己紹介が長く講座が始められないが、ここまできたら下手に遮るより、流れに任

せようとくら子はうなずいた。

「お店のオープンはいつ頃ですか」

「改装や準備がありますので、オープンは3ヶ月後です」

「わたしもサリーを着てみたいのですが、まだ手に入らないのでしょうか」


「わたくしの家にお越しいただけたら、ご用意できますよ。それにカレーも召し上がってい

ただきましょう」

 講座が始まった。くら子は洋服などの要不要を決める時に、家族、友人ではなく、信頼の

おける第三者にサポートしてもらうと、決断しやすいと話した。なぜなら第三者がいること

によって、一歩下がって、他人の目を通して自分の持ち物を見られるからである。

 例えば、10年前に買ったコートがあるとする。夫にそんな古いもの捨てればいいのにと言

われると、高かったしもったいないと答えてしまう。娘に、お母さんそのコートもうボタン

が止まらないでしょうと言われると、うるさいわねこれから痩せるのよと答えてしまう。し

かしあかの他人に、これからそのコートを着る機会はありますかと尋ねられると、そうです

ね、ないですねと落ち着いて答えが出せる。この話をすると初実が手を挙げた。

「あの、その第三者をくら子さんがうちに来てしてもらえませんか。もちろんお仕事とし

て。そうすればひとりでイジイジ片付けるよりすっぱり決断できて、お店のことに早く取り

かかれます」

 くら子は少し考えて、わかりましたと答えた。

高山孝子がおずおずと言った。

「厚かましいのですが、その時にわたしも参加させていただくのはダメでしょうか。お邪魔

はしませんので…見学ということで」

初実は躊躇なく、いいですよと答えた。あの、わたしも、わたしもの声が続き、とうとう全

員が参加することになった。
 




 地図を手に、くら子とまろみは豪邸の並ぶ住宅街を正宗邸に向かった。

インターホンで名前を告げると、ギーッと大きな鉄の門が開いた。

 中年の女性にリビングに通されると、講座に参加した全員が来ていた。

30畳はあるかと思われる部屋のあちこちにソファーが置いてあり、4、5人がグループになっ

て座りチャイを飲んでいた。

 こんにちはという声がこだまし、なかなか盛り上がっているようだ。

まろみがバッグを置こうとして、サイドテーブルの上のガラスのランプに肘が当たった。

ランプの傘が揺れたので、くら子が慌てて傘を押さえた。

「これが割れたら、まろみちゃんは初実さんのお店で2、3年ただ働きしなくちゃならないわ

よ」

うそ、とまろみは目を丸くした。

「これはラリックだと思うから」

「ラリってるんですか?」

「ルネ・ラリックよ。フランスのガラス工芸家」

 紺の更紗のサリー姿で初実が戸口に現れたので、くら子はこの話はまた後でと立ち上がっ

た。

 案内された2階の和室も宴会ができそうな広さだったが、そこには色とりどりのドレスやき

ものが部屋いっぱいに広げられていた。

くら子とまろみの後に続いた女性たちから、キャーッと声が上がり、すごいと息をのむ者も

いた。

「これ全部初実さんの衣装ですか」

思わずまろみが聞いた。

「そうなのよ、ほとんど手を通していないの。デパートの外商を儲けさせただけだったわ」

くら子はざっと見て回った。
 




「まず、こちらのパーティー用のドレスから見て行きましょうか。それと不要なモノを入れ

る箱がいりますね」

それならここに用意してあるの、と初実が押入れを開けると畳んだ段ボールの箱が積まれて

いた。

 まろみが段ボールを組み立てている間に、くら子は聞いた。

「娘さんか、お嫁さんに譲られるということは?」

「娘はいないし、嫁はわたくしより10センチは背が高くて、ウエストも10センチ以上大きい

の、たぶん。それに仲がいいとは言えない姑のものなど欲しくもないでしょう。嫁はわたく

しのことを趣味が悪いと思っているのよ」

肩をすくめて苦笑する初実にくら子は頷き、孔雀色の大胆なデザインに裾まわりは銀のスパ

ンコールがちりばめられたドレスの前に立った。

「今後、このドレスをお召しになる予定は?」

「全然ないの。もう退屈なパーティには行かない、だからこのあたりのドレスは全部いりま

せん。どなたか欲しい方があれば差し上げますけど」

ギャラリーのように、初実とくら子を取り巻いている中から「はい」と手が挙がった。

隣の女が、あなたには入らないわよとドレスと本人を見比べた。

「わたしではないですよ。娘が近々結婚するのでお色直しにどうかと思って…」

「身長は?」

先ほどの勢いはしぼみ、手を挙げた女は無理ですねえとうなだれた。

最近の娘はみんな栄養がいいから、背が高いのよねえと誰かがつぶやいた。段ボールの箱に

次々とドレスが詰め込まれていく。とりあえずまとめておきましょうと、くら子は次に移っ

た。

こちらは、シャネルスーツにツイードのスーツ、卵色のシルクの光沢のある柔らかいスーツ

などだった。

「スカートの丈で時代がわかるわ」

初実のつぶやきに、そういえば首相夫人がミニスカートをはいて話題になった事があったわ

ねぇとか、景気とスカートの丈が比例すると言ってた時代もあったと、ギャラリーは好き勝

手なことを話し合っている。

ブランド物のスカーフと、ストールは大騒動になった。皆が欲しいと飛びついたのだ。
 




 結局希望者の多いものはじゃんけんになった。

白いカシミアのストールには8万円の値札がついたままだった。

「初実さん、このストールまだ値札がついていますけどいいのですか」

1人が白い糸でぶら下がっているデパートの値札を見つけた。

初実はちらと眼をやり、それはだめよやめといたほうがいいと、ストールを手に取って広げ

た。

「ほら、虫に食われた穴があいているでしょう。買ったままで忘れていたら、こんな穴があ

いていたのよ」

まろみは頭の中で、8万円のストール、ストールが8万円、穴があいても8万円…と繰り返

し、ため息をついた。

くら子はたとう紙の上に広げられた和服を確認していた。


「きものもよろしいのですか。喪服もありますが」


「ええ、もちろん。いくらなんでもサリーで葬儀に行くのは無理だけど、舅、姑も見送りま


したし、夫を見送る時には洋装にします」


 さらっと夫を見送ると言った初実の言葉に、女たちは初実さんはそこまで考え、覚悟の上


で衣類を処分しておられるのだと、わが身を振り返った。 

 




バッグの山の処へ行くと、栗原敦美が訊いた。


「これ、新品じゃないですか」


布袋の中には黒いケリーバッグがあった。


「夫が海外に出張した時のおみやげよ。たぶん元秘書の彼女に頼まれて、ついでにわたしの


分も買ったのだと思うわ。つまり良心の呵責の塊ね。だからわざと使わなかったのよ」


「これ質屋さんに持って行くと、いい値段で売れますよ」


敦美の隣の女が、こらこらとたしなめたが、初実は微笑んだ。


「質屋さん? なつかしいわねえ。昔はよく行ったのよ」


えっと、驚いた女たちは初実を見つめた。


「貧乏してた頃だけど、米櫃が空になってお金もないし、育ち盛りの子どもに食べさせなき


ゃならないから、母が嫁入りの時に持たせてくれた着物を質屋に持って行ったのよ。子ども


たちには、第七銀行に行くって言ってたのよ。あの頃は貧乏だったけど楽しかった」


 壁際にずらりと並んだ段ボール箱を見て、くら子は初実に訊いた。


「本当は、ご自身で全部処分すると決めておられたのではないですか」


初実はそうね、でも、誰かに背中を押して欲しかったのよとにっこりした。


「そこでくら子さんに相談なのだけれど、これをどう処分するかなの」


なぞなぞを出す子どものような初実の問いに、くら子は初実をじっと見た。


「それも、決めておられるのでは?」


「ふふふ、ばれたか。実は、オークションを開きたいと思っているの、少しでも収益が上が


れば、インドのストリートチルドレンのための基金に寄付しようと思って」


少し離れたところで、耳をダンボにして聞いていたまろみが寄ってきて、ダイアナ妃みたい


ですねえと言った途端に周囲がしんとなった。


空気が変わったのを感じたまろみがそわそわと周りを見回し、何か変なこと言いました? 


と、くら子に救いを求めた。

 




「あれは遺品のオークションだった」


まろみは左手でぽんと額を叩いて、初実さん、す、すいませんと頭を下げた。


「いいのよ、まろみさん。死んでから他人に自分のモノを託すより、自分で処分する方がど


れほどすっきりするか…」


初実の言葉でまろみはほっと胸をなでおろした。


「それでオークションなのだけれど、場所は夫のレストランの休みの日に借りきろうと思っ


ているの。もちろんお料理は食べ放題でサービスする。店のコックさんに手伝ってもらって


ビュッフェスタイルにするわね。それと、お手伝いして下さる方があれば…」


はい、はい、手伝いますとにぎやかに声が上がった。


「あのー初実さん、オークションを仕切る人はいるのでしょうか」


原口元女がおずおずと聞いた。


「それがまだなのよ。誰でもできるってわけでもないみたいだし、くら子さんにご相談しよ


うかと思ってたことなの」


「私ではダメでしょうか」


「えっ、元女さん経験がおありなの?」


「いえ、経験はないのですが、わたし娘時代に講談師に弟子入りしてたもので…才能がない


とわかって辞めましたけど、一度そういうのやってみたいと思って」


初実とくら子は顔を見合わせた途端に、元女の声が弾けた。


「なにがなにしてなんとやらぁー、このケリーバッグは新品でぇー、さるお宅のお屋敷に眠


っておりました。さて皆さま、このケリーバッグは、かのモナコ王妃グレース・ケリーが妊


娠中にお腹を隠すのに使った写真が公開されてぇー、奇しくもこの名がつきましたぁー」


 元女の声は屋敷中に響くかと思われるほどだった。


初実はくら子を見て、無言でうなずいた。


「決まりだわね。元女さん」とくら子は笑顔で元女に握手を求めた。


キャー、うれしいと元女は両手でくら子の手を握り返した。

 




 こうして2ヶ月後にはレストランでオークションが開催された。


くら子が指示したわけではなく、講座の受講者たちが初実を中心にして「実行委員会」を立


ち上げた。委員会のメンバーの行動力は素晴らしく、チラシや招待状を作り、友人知人や町


内会、カルチャーセンターの仲間などに積極的に配った。


 当日のタイムスケジュールから、料理のメニュー、サービスに至るまで、細かな神経が配


られた。


 オークション会場のレストランからの帰り道、まろみは興奮していた。


「くら子さん、わたしのサリー姿はどうでした?」


「なかなかよかったわよ」


そうでしょう、わたしもそう思うんですよねとまろみは小鼻をふくらまして続けた。


「その割に、あっちのテーブルこっちのテーブルとカレーを食べてたじゃない」


「あ、あれは試食ですから。初実さんのお店のメニューにどれがいいか、モニターしてたん


です」


「それにしても、オークションは大成功だったわね。売り上げも100万を超えたし、お店の


宣伝もできたし、あれだけの女性たちの口コミが広がるとすごいわよ」


「そうですね。サリーもカレーも大人気でした。しかしオークションのほうは元の値段を考


えると…」


「モノって、そういうものなのよ」


「そういえば、景気良くバッグや洋服を競り落としていた女の人がいましたね」


「ああ、葛城さんね、あの人はパフォーマンスよ」


「は? パフォーマンス? ってどういう意味ですか」


「元参議院の議員さんなのよ。ストリートチルドレンに寄付するために協力していますって


いう『ふり』かも…」


「選挙のためですか」


たぶんねとくら子は口をつぐんだ。

 




「ところで、オープニングのあいさつで初実さんが云ってた『りんじゅうき』って何です


か? 」


「ううむ、立ち話ですむ話でもないからお茶でも飲みながらにしましょうか」


 近くの喫茶店で、くら子はまろみに説明した。古代インドでは人生を4つの時期に区切るそ


うで、「学生期」(がくしょうき)は生まれてから24歳くらいまで。「家住期」(かじゅう


き)は25歳か49歳、「林住期」(りんじゅうき)は50歳から74歳、「遊行期」(ゆぎょう


き)は75歳から90歳とされている。学生期で学び、家住期で働き家庭を作り、子育てを終え


る。そして人生のクライマックスである林住期で自分が本当にやりたかったことを改めて問


いかける時期だとされている。


「初実さんは林住期になったから、自分のやりたいことを思い切りやろうとしておられるの


ですね」


「たぶん、それに今までのしがらみも清算されるのかもしれない」


「夫は愛人のところだし…次は離婚かもしれませんね」


「さあ、それは…夫婦のことは他人にはわからないものだから」


 くら子は冷たい抹茶オーレを飲みながら、クロゼットのモノがなくなった広い家で初実は


どうしているのだろうかと思った。


 まろみは隣の男性が広げている夕刊の小さな見出しに、あっと声を上げた。


くら子も気がついた。

 




 初実の夫の会社の株主総会で、株主から業績は昨年の2割ダウンで、危機的状況なのに会長


の報酬が3億とは高すぎると紛糾した。会長である初実の夫、隆泰の写真も大きく載ってい


る。


「マスコミに取り上げられると大変だわねえ」と、くら子は初実のことを再び考えた。


 半月後、初実から届いたオークションの招待状をくら子はしげしげとながめた。


 オークションは3日後だった。横から覗き込んだまろみが、えらく急な話ですねとつぶやい


た。


「今度は家具や美術品から、家まで売ってしまうみたい」


「ひぇー、あのお屋敷までですか」


まろみは後ろにひっくり返りそうなほどのけぞった。


くら子はうなずいた。


「しかしあの家を初実さんの一存で処分できるのですか?」


「そりゃあ、ご夫婦で相談なさったんじゃないの」


「何と言っても年収3億。また新しい家を建てるとか…」


「そういう話にはならないような気がする」


 急いで処分しなければならないのには事情があるに決まっている。


大きな屋敷に豪華な家具や美術品。それをバタバタと処分する理由とは? 


くら子の思いはまろみに通じず、オークションの日は「わくわく片付け講座」があるから見


に行けないとしきりに残念がっている。


どうやら、居間に飾ってあったバラの花で縁取ったロートアイアンの鏡が気になっているら


しい。


 オークションが終わった翌日の新聞で、初実の夫の会社が粉飾決算の疑いありと紙面をに


ぎわした。


新聞を手に、くら子はこれだったのねとためいきをついた。

 




 まろみに出勤が少し遅れるとメールを入れて、くら子は初実の家に向かったが、インター


ホンを押しても応答がなかった。もしかしたらと足を向けた近日開店予定の店は扉が開いて


いた。


 おそるおそるのぞくと、初老の男が段ボールの荷物を運び、初実がそれはこっち、あれは


そこと椅子に座って指示をしていた。


 怪訝な顔をしているくら子に、初実があらくら子さん、おはようと声をかけた。


「おはようございます」と答えたくら子は、頭にタオルを巻いて荷物を運んでいる男の顔を


見た。どこかで見たような気がする。そうだ新聞だ。初実が紹介した。


「うちの居候よ」


えっ、とくら子は聞き返した。


「借金抱えて、行くところがないからね」


しかし…愛人は? という言葉は口に出せず、戸惑うくら子に初実は言い放った。


「金の切れ目が縁の切れ目だって」


くら子は、ハアとあいまいに答えた。


「あたしたち、今6畳2間のアパートに住んでいるのよ。ふふふ、昔に戻ったみたいでおそう


じも家政婦さんに頼まないで済むし気楽な暮らし」


初実はさばさばした口調で、林住期のわたしたちにとってこれで良かったと思ってるのよと


微笑んだ。


「お店はもうすぐ開店ですか」


「ええ、夫はカレーのメニューを充実させるって張り切ってるの。オープンの時にはまろみ


さんと来てくださいね」


もちろんですと答え、くら子は店を後にした。

 




 事務所に戻るとまろみがふくれていた。


「どうしてわたしも連れて行ってもらえなかったのですか」


「事情がわからなかったし、そうそう事務所を留守にする訳にはいかないでしょう。オープ


ンの時には2人で行きましょう」


やったと、まろみは指を鳴らした。


 くら子が初実は夫とアパートに移ったことを話すと、まろみはしょぼんとして声を落とし


た。


「まるで天国から地獄ですね。あんなお屋敷の奥様が…気の毒に」


「でも、初実さんは今の方が幸せそうよ」


まろみは信じられないというように、ぱちぱちとまばたきをした。


「強がっておられるのではないですか」


「それがそうでもないのよねえ」


「ふむ、わたしはまだ修行が足りない、インドで瞑想したほうがよいのでしょうか」


「さあ、今度初実さんに訊いてみたら?」


そうしますと、まろみは神妙にパソコンに向かった。

 





この話元々のタイトルは「インド・サリー・カレー」でしたが「インドで瞑想すると人生が

変わる?」に変えました。

自己啓発の本みたいかなと思いつつ、他のタイトルが浮かべばまた変えようと思っていま

す。(何度でも書き換えられるのがよいところ)

サリーについては改めて書こうと思っています。

↓書きました

2019年4月3日ブログ 和服・洋服・サリー




 







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