7  ショックで声が出ない 




 「わくわく片付け講座」にオプションの講座がある。その一つが年金や


相続講座で講師は司法書士兼社会保険労務士の大坂多可子が担当する。講


座終了後、三波幸恵は個人的に相談した。会話は筆談である。


 幸恵は9年前に夫の和秀を癌で亡くした。義父はその前に亡くなっていた


ので、義母と二人で暮らしていた。息子は二人いるが独立して家を出てい


る。家は義父が亡くなった時に義母の名義になっていた。和秀が47歳の若


さで逝くとは思わなかったからである。


 5年あまり、パーキンソン病で体の不自由な姑の面倒をみていたのは幸恵


だった。和秀の姉2人と弟は、年に1〜2度来るだけで、幸恵をねぎらいも


せず、実の母の介護に手を貸すことはなかった。そして、テルが逝った。


葬儀を終えると、姉弟三人が家の中の換金できそうなものを根こそぎ持っ


て行った。


せめて、四九日が済んでからにして欲しいと頼む幸恵に3人は貴金属などを


隠しているのではないかと責め立てた。


 幸恵が講座に参加しようと決めたのは、略奪の後、義母の遺品を始末し


た時だった。自分が死んだらこんなゴミの山を残したくはない。それに、


息子の嫁たちに迷惑をかけたくないので、今から身辺整理をしておこうと


決心した。


 加えて、1週間前に3人連名の内容証明が届いた。家を売るので3か月以


内に家を空けてほしいとの事。この手紙のショックで、幸恵は声が出なく


なったのである


 法律上、義母の名義の家は娘や息子に相続される。和秀が生きていれば


こんなことにはならなかったが、幸恵には何も残らないと大坂は申し訳な


さそうに、説明した。


「幸恵さんにはお姑さん名義の家を相続する権利はありませんので、子供


さんたちが家を売却して財産を分けられるという場合、どうしようもない


んです」


 涙をこらえて幸恵は、どうにかなりませんかと手帳に書いたが、大坂は


首を振った。

 

 会場を片づけながら、横で様子を見ていたまろみが大坂に不満を訴え


た。


「5年もお姑さんの介護をしたのに、何ももらえないなんて、ひどいじゃ


ないですか」


大坂もカバンに書類を詰めながら、悔しそうに答えた。


「こういうケースは案外多くてね、おつれあいが生きておられたら相続され


ていたでしょうし、嫁の立場としてお姑さんに遺産相続の話などできなか


ったでしょうね」


 くら子もうなずいた。


「法律に感情はないから。欲がからむと、きれいごとでは済まないのよ


ね」


「それじゃあ、裸同然で家を追い出される幸恵さんはどうなるんですか」


 椅子に不満をぶつけるようにまろみはバタバタと椅子を片付けている。


 くら子は大坂と共にエレべーターに乗った。


「幸恵さんの場合、まず家探しから始めないと、大坂先生、相談に乗って


いただけますか」


 実家が不動産業を営んでいる大坂は、両親の仕事を手伝っていた。


「わかりました。調べてみます」


 中高年の女性が、ひとりで暮らそうと思っても家を借りにくい。職業、


収入、年齢の壁、保証人。幸恵にとって不利なことばかりだ。


 2ヶ月後。くら子が事務所でのんびり朝のコーヒーを飲んでいると、恵比


寿からの電話を受けた。


「幸恵さんの引っ越し、『ポンポン堂』がOKだって」


「良かったですねえ。最近は引っ越し代もバカになりませんから」


「柔道部の学生が5人も来れば、荷物を運ぶのは午前中で終わるんじゃあ


ないかな」


『ポンポン堂』が蔵書の引き取りに呼ばれた時、彼らがアルバイトで力仕


事を引き受けている。


「トラックは『ひきとりや』さんが貸してくれるんでしたよね」


「ええ。でも、幸恵さんはホントにきれいに身辺整理したから、楽なもん


よ」


  引っ越しには、女手も必要だろうと、くら子とまろみもジーンズ姿で手


伝いに参加した。


 がらんとした部屋に掃除機をかけ終わったくら子は、これで、アパート


に運ぶ荷物はこの掃除機だけですね、と幸恵の方を向いた。そこへ、庭か


ら、お〜いという声がした。


 縁側に出てみると恵比寿が庭で軍手の埃をはたいていた。横には汚いリ


ンゴ箱があった。


「廊下の天袋の奥に残ってたんだけどさ、開けてみますか」


 幸恵は不安そうにうなずき、下駄をはいて、庭へ下りた。


 木箱を開けると、古びた茶色い紙が詰めてあり、恵比寿が持ち上げよう


とすると、ぱらぱらと花びらのように舞い、中からきつね色のパラフィン


紙にくるまれた箱が現れた。


 くら子はこの瞬間の恵比寿の表情が変わったのを見て、悟った。


 恵比寿は、学生の一人に、車から手袋とビニールシートを持ってくるよ


う指示した。


 幸恵は何が起こっているのかわからず、不安そうにくら子を見た。


「残りものに福があったのかもしれませんよ」


 軍手の代わりに白い手袋をはめた恵比寿は、縁側にビニールシートを敷


き、こわれものでも扱うように、箱入りの本を並べた。1冊ずつ箱から出


し、奥附や本の状態を確認した。


期待の混じった緊張感が漂い、皆がじっと恵比寿の作業を見つめていた。


『心理試験』『屋根裏の散歩者』『一寸法師』…作者は江戸川乱歩。


 腰に下げていたタオルで汗をぬぐいながら、恵比寿が幸恵に笑顔を向け


た。


「全部、春陽堂の初版の上、美本、出版は大正から昭和にかけてですね」 

「このぼろい本は、価値のあるものなのですか」


スマホで検索した恵比寿はまろみに画面を見せた。


「インターネットでは、1冊10万から20万以上の値がついてるけど」


「じ、10万!」


「うそ―っ」


「大きな声を出さないでよ、まろみちゃん」


「だって、今、幸恵さんが10万って、言ったじゃないですか。声が出たん


ですよ」

まろみに指摘され、幸恵も気がついたようで試してみた。


「あ〜あ〜あ〜、あ〜、本日は晴天なり〜」最後は声が裏返った。


マイクのテストじゃないんだからと、皆が笑った。


「そこで?」と問いかけるようなくら子のまなざしに、恵比寿は目を細め


て並んだ本に目をやった。


「50万」


「もう一声」と、くら子も返した。


「う〜ん、60万」


「まだまだ、ここで男の器量が決まる!」


「ほんと、くら子さんにはかなわないや。商売抜きで、幸恵さんの出直し


のご祝儀に末広がりの80万でどうだ」


「決まった!太っ腹のポンポン堂」


「何が決まったんですかぁー」まろみは仲間外れにされたと思った。


「この本が80万で売れたのよ」


幸恵も事態がのみこめなかった。


「だけど一冊10万から20万の本が20冊ちかくあるのに、なんで80万なん


ですかぁ」


 古書の取引を知らず、合点がいかないまろみは不満そうだ。


「まろみちゃん、お店で20万で売っているバッグを20万で仕入れたら商売


が成り立たないのはわかるだろう」


 恵比寿は縁側に腰かけ、ゆっくりとたばこをくわえたが、火はつけなか


った。


「古書はバーコードが付いた新刊本と違って、値段はあってないもんなん


だよ。いくら珍しい本でも欲しい人がいなければ売れないし、価値がわか


らない人にとってはただの古本なんだよ。コレクターや研究者にとって、


のどから手が出るほど欲しい。そういう本でないと高値はつかないし、今


はネットのお陰で、およその価値はわかるから、無茶な値段はつけられな


いんだよ」


 恵比寿はまろみに話しながら、幸恵に説明しているようだ。


 じっと聞いていた幸恵は不安を口にした。


「わたしひとりだったら、きっとゴミだと思って捨てたでしょう。恵比寿


さんがおられたから…でも、この本は、たぶん義父のもので、わたしに売


る権利はあるのでしょうか」


「お義姉さんたちは欲しいものを持って行き、あとは処分するように言わ


れたのだし、長年お姑さんの介護をして家を守ってきたのだから、お舅さ


んからの感謝の気持ちだと思えば良いのではないですか」


 まろみも、呆れている。


幸恵は本当によいのかと、くら子を見た。


「当然です。それでは、アパートへ荷物を運んでしまいましょう」


「みなさん、ありがとうございました。大坂先生にはアパートを御世話し


ていただき、引越しまでこうして…」幸恵は涙声になった。


「ところで幸恵さん、古本のお金はどうするんですか」


 まろみちゃんたらと、くら子がたしなめた。


「はい、思いがけないことだったのでびっくりしたのですが、実は、これ


からひとりで生きていくのに、何か仕事をしたいと考えていたのです。義


母の介護の経験がありますので、へルパーの講座に通って資格を取り、ヘ


ルパーさんになりたいと思っていたんですけど、恥ずかしながら受講料が


なかったので…」


 




 







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