16   叔母の遺品整理が人生の転機に 

   手続きは頭に来ることばかり、遺品整理から自分の人生へ 




 江坂康子の怒りは激しかった。講座申込書の受講動機欄には細かい文字


で紙の裏にまでびっしり書いてあった。


「世間でいうところの大企業に勤めておりましたが、定年を待たずに早期


退職しました。とはいえ残りは2年ほどでしたが、当時は今と違って景気も


良かったので退職金の上乗せもありたくさんいただきました。ですから、


よほどの長生きをしない限り老後の心配をする必要がないと思っていまし


た。しかし、2か月前にひとり暮らしの叔母(母の妹)が亡くなりました。


叔母には子供はなく、私の兄は沖縄で暮らしておりますので、葬儀その他


の手続きを私がすることになりました。そこで、頭にくることがたくさん


ありました。


 退職して少しのんびりしたら、語学留学でもしようかと思っていたので


すが、冷水を浴びせられたようなものです。


 区役所から、後期高齢者の医療保険で過払い金があるから、申請すれば


戻ってくるという通知が来ました。金額は2350円です。故人の代理人とし


て、私の銀行口座に振り込んでもらうように書類を送ると、他に相続人は


いないのかと電話がかかってきました。


 姉である私の母は3年前に亡くなっており、親戚といえば連絡の途絶えた


遠い親戚を除き兄と私だけです。しかし区役所では姪は親族とは認めても


らえません。


 区役所の担当者は、他に相続人がいなければ私と叔母の関係=叔母、姪を


証明するために叔母と母の戸籍謄本を出せと言われました。叔母の本籍は


長崎にあります。


 このまま放置しようかと思いましたが、そのお金が市の収入になるとい


うことと、区役所の担当者の対応に腹が立ったので長崎の役場に連絡して


謄本を送ってもらい、提出しました。手間暇を考えれば、ばかみたいな話


ですが、こちらも意地になりました。葬儀を終えて、ほっとしているとこ


ろに、このようなさまざまな手続きが待ち受けているとは思いもよりませ


んでした。


 次は社会保険事務所です。叔母の銀行口座を解約していたので、年金が


振り込めないという通知でした。また、書類の但し書きに、本人が死亡し


た場合は社会保険事務所に届け出るようにということで、事務所に出向き


ました。(親族がいない人は誰が届け出るのでしょう?)


 なんと、死亡届を出すのに、年金の照会に来た人々と同じ相談窓口で二


時間待たされました。ようやく番号を呼ばれ、係の方に不満を云うと、こ


のような軽微なものはわたしが担当しているのですが、ご存じのように忙


しくて…。


 そして、パソコンで年金の未納がないか調べながら、親族かと聞くので


そうだと答えました。未納があれば請求するつもりのようでした。未納が


ないとわかると、死亡届を出すには年金証書、年金手帳、死亡証明書か、


住民票の除籍届が必要だと言い出しました。


そして、書類を見せて、親族は親子、兄弟などで、姪は親族ではないとい


うのです。ここでわたしはキレました。このような軽微な手続きは…と言


い訳ばかりで軽微という言葉を8回使いました。わたしがほんとうに頭に来


たのはこの"軽微"という言葉です。


人が死んだ手続きが軽微なことで片付けるのかと。父母が逝った時には兄


が手続きをし、親子ですからそれほど問題はなかったと思いますが、叔母


のことで法律上姪は親族ではないと云われ続けたのには愕然としました。






 次は遺品整理です。叔母の家は借家でしたので、明け渡すために片づけ


をすることになりました。近頃は遺品整理屋さんがあるそうですが、とて


も他人に頼む気にはなれませんでした。叔母の家に月に一度は訪れていま


したので、それなりに片付いていると思っていましたが、遺品を片付ける


となると話が違います。押し入れや引き出しにモノがいっぱいで壊れた昔


の黒い電話機まで大事にしまいこんであったのには呆れました。


 わたしにはガラクタに見えても叔母には大切なものだったのでしょう。


お菓子の空き缶に空き箱から、包装紙やひもに至るまで、きちんと取って


ありました。ボタンが詰まった箱もありました。不要になった洋服もボタ


ンだけは取っておいたようです。


 洋服や着物も、昔の衣装ケースほどの大きさの海苔の箱や、つづらにまで


ぎっしり詰まっていました。衣類の中の防虫剤の袋は空で、着物もコート


もあちこちに虫食いの穴があいていました。こんな穴のあいた衣類を後生


大事にとっておいて何になったのか。誰かにあげるでもなく、ただもった


いないと思ったのか、いずれ着る時が来ると思ったのか。それとも思い出


だったのか、叔母とそういう話をしたことはなかったのでわかりません。


 また叔母のものを形見分けとして差し上げられるほど親しい人がいたの


かどうかもわかりませんし、遺言を残さなかったのですからわたしが処分


するしかありません。


 古い手紙もありました。読みたい気もしましたが迷った末に庭で焼きま


した。身内の者として故人の私生活をのぞきみるようで、気持ちの良いも


のではありません。家具などの大きなものは不用品の処分をしてくれる会


社に依頼しました。


 一番困ったのは、神棚とお仏壇です。粗大ごみとして処分する人もある


ようですが、わたしにはできません。わたし自身は教会に通うクリスチャ


ンですが、叔母が拝んでいた対象を粗末にすることは、叔母の存在そのも


のを否定するような気がしました。そこで以前職場の先輩がわたしと同じ


ように、1人暮らしのおじさんの遺品の整理や仏壇のことを話していました


ので相談しました。


 先輩のアドバイスで、お坊さんにお経を上げお正念を抜いたうえで、お


寺でお焚きあげをしていただきました。神棚は近所の神社に運んで引き取


っていただきました。


 ほんとに狭い借家のひとり暮らしだったのに、こんなに大変なことだと


は思いもしませんでした。そして気がついたのです。私も1人だというこ


と。私が死んだ時、後の事を誰がみてくれるのかということです。兄や兄


嫁には頼みたくないし、甥や姪に今回の私のような思いはさせたくありま


せん。


 親しい友人や教会仲間はいますが、同い年か年上ですので当てにはなり


ません。


 死んだらおしまいだからそんなことは気にしないという人もいるでしょ


うが、私は気にします。寿命は人の意のままになりませんが、身辺整理は


しておくことができます。遺品整理屋に頼むのは嫌です。これは老前整理


というのでしょうか、それとも終活なのでしょうか。何もかもきれいさっ


ぱりというのは無理ですが、これからは物を減らし、すっきりした生活を


していこうと思いますので、よろしくお願いします」






 くら子が江坂康子の受講の動機を読み終え、ふーっとためいきをつい


た。


「ほんとに、遺品整理って大変よね」


「最近、遺品整理屋さんが増えているようですよ。高齢者だけでなくひと


り暮らしの人が増えてますから。自殺も多いみたいですし…ご家族もつら


いですよねえ。そういえば、遺品整理をした家族は、江坂康子さんみたい


に、自分の身辺をきれいにしておこうと思う人が多いみたいですね」


 くら子とまろみは、江坂康子志望の動機から、自己主張の強いエキセン


トリックな女性だろうと想像していた。ところが講座に現れた康子は、も


の静かで別人のような印象だった。くら子はそんな康子をみながら文字に


して書いたことで、ある程度ストレスが発散され、自分自身の考えもまと


まり落ち着いたのではないかと思った。


 またこのような女性があれだけ憤りを感じていたのだから、さぞかし大


変なことがあったのであろう。人の死にまつわる予想外のことが、残った


者の人生を変えることもある。


 くら子には他人の人生を左右する力はないが、「わくわく片づけ講座」


で康子の老前整理のサポートができれば、それこそ講座を始めた甲斐があ


ったと思う。片付かないとか、暮らしを変えたい、変わりたいと思ってい


る女性の多くは、ストレスを抱えている。


ストレス発散の仕方は人それぞれで、スポーツだったり趣味の世界、風呂


上りのビールの人もある。トラブルに見舞われたり、理不尽なこと、不運


なこと、悲しいこと、つらいことを聞いてくれる友達がいれば幸いであ


る。


 問題は解決しなくても、話も聞いてもらえることだけで救われる場合も


ある。しかし親しい友人だから話せないこともあるし、言えないこともあ


る。そういう場合に、康子のように文章にして書くことで考えがまとま


り、客観的に自分の行動や考えを見直す機会をもつことでストレスの解消


につながることがある。一番困るのは愚痴ばかりこぼしている人である。


愚痴ばかりこぼしている人に人は寄ってこない。そして人が離れていく


と、それをがまた愚痴のタネになる。とはいえ、いつもいつもプラス思考


で前向きにいきましょうと過度のハッパをかけられても、聞いている方は


つらくなる。


 康子はといえば講座の間、熱心に講師の話を聞きわからないところは質


問し、グループのワークショップではまとめ役だった。また志望の動機に


ついてひとことも触れず明るかった。


 講座終了後のアンケートにはひとこと、「参考になりました」と書かれて


いた。


 短い感想を見て、まろみは首をかしげた。


「参考になりましたは、たいてい外交辞令ですよね」


「かもしれないし…そうでないかもしれない」


「くら子さん、これはなぞなぞなんですか?」





 3か月後、江坂康子から手紙が届いた。


前略


 くら子さん、まろみさん、ご無沙汰しておりますがお変わりありません


でしょうか。


その節はお世話になり、ありがとうございました。お陰さまで講座を受け


て気持ちの整理もでき、余計な諸々を片付けたらすっきりして新しい人生


をやり直そうという気になりました。


 ご存知のように講座を受講する前は、叔母の事を自分に重ねて混乱して


おりました。それは夫も子供もなく、昔よく言われた"おひとりさまの負け


犬"のようで、居心地の悪い思いがあったからです。しかしようやく胸を張


って前に踏み出せるようになりました。


 手始めに、長年ご無沙汰だった高校の同窓会に出席しました。学生時代


いつも気になりながら親しく話をすることのなかった同級生と、隣同士の


席になり話が盛り上がりました。思春期の多感な頃と違い、お互い気楽な


もので、二次会にも一緒に参加しました。


  これがきっかけで、お付き合いが始まり、トントン拍子に話が進み、


話し合った結果、一緒に暮らすことになりました。


(彼はバツ一で、成人した息子と娘がいますので、あとあとの相続の問題


も考慮して、入籍はしません)


 1人で老いる覚悟をして身辺整理をしたら、同居人ができるなんておかし


なものですね。こんな小説のようなことが自分の身に起こるとは、思いも


しませんでした。


 そこで友人へのお披露目のつもりで一席設けることにしました。お二人


にもお越しいただければ幸いです。気楽な会ですので、平服でお越しくだ


さいませ。                                                                    かしこ   

                            江坂康子 


 手紙を封筒に戻したくら子にまろみが聞いた。


「くら子さん出欠の返事はどうします」


「もちろん出席、まろみちゃんも行くでしょう」


「あの、行きたいですけど平服とはどういう服でしょう。デパートに売っ


てますか、レンタルのほうがよいかなあ」


「イブニングドレス売り場に売ってるわよ」と答えながら、くら子は笑い


をかみ殺した。

  





ブログ小説の時のタイトルは「遺品整理と招待状」でした。


親の遺品整理とおじ、おばの遺品整理は違うという意味でタイトルを変更しま


した。


遺品整理については東京新聞のコラムでも取り上げています。


コラム→『転ばぬ先の老前整理』掲載


ブログでも紹介予定。 遺品整理について

 

2014年放送 NHKラジオ講座テキスト こころをよむ 


『心と暮らしを軽くする「老前整理」入門』では 第8回 遺品整理


2018年 NHKラジオ講座テキスト こころをよむ


 『老前整理の極意』では 第10回 遺品整理をどうするか


親の遺品整理は自分の遺品は誰が片付けるのかにもつながります。


 




 







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