17   死ぬまで元気クラブ 


   「一日一生」が設立の趣旨 

   



 ある日の深夜K社の事務所で、赤いランプの灯った旧式のファックスがカタカタと巻紙の


ように大量に紙を掃き出している。


 朝、事務所のドアを開けて、あかりのスイッチを押したくら子は、目の前の光景に立ちす


くんだ。床に白い紙が広がっている。一瞬、泥棒かと思い後ずさりしたが他に異常はないの


で、恐る恐る近寄って見るとファックスの紙だった。


 しゃがみ込んで紙を巻いていると、まろみが眠そうな顔でおはようございますと現れた。


「くら子さん、なにしてるんですか」


「大量のファックスが来たみたいで、この通りよ」くら子は顔をしかめた。


「もしかして、いたずらとか、いやがらせ? 悪質ですねえ」


それがそうでもないみたいと、くら子は手元の紙に目をやった。


 ファックスは紙がなくなった印の、黄色いランプがチカチカしている。


「どういうことですか」まろみも紙を集めた。


「それが、『SGC』って、知ってる?」


「さあ、聞いたことないですね。しっかり、がっぽり、貯金する集まりとか…シニアゴール


ドクラブ、これだとカード会社にありそうだけど。シングルガールクラブ、セクシーギャル


クラブなーんて、ちょっといかがわしいけど、ありそうな…イヒヒ」


「あのね、セクシーギャルが来る訳ないでしょ。全部、次回の『わくわく片付け講座』の申


し込みなのよ」


「ほんとだ、会員番号まで書いてある」


「でも、どこの会員かはわからない。ざっと見ただけで50人は超えてるでしょう」


まろみは立ち上がり、FAXの操作盤の蓋をあけた。


「紙がなくなってます。紙を入れたらまだまだ来るかもしれません。どうします?」


「とにかく、紙を入れてみて」


 ファックスに紙をセットしながら、まろみはまだ考えている。


「鮭に、胡麻に、ちりめんじゃこで、SGC」


「はあ? 今度は何なの」


「ふりかけ愛好会なら、こうなります」


なるほどと言いながら、くら子は連なった申込書を一枚一枚はさみで切り離していった。


まろみがファックスの蓋を閉めた途端に、ピーと鳴り、またズズズと紙をはきだした。


「あれぇー、どれだけ来るんでしょ」


「新記録をどれだけ更新するか見ものねえ」


くら子はファックスを見て、面白そうに腕を組んだ。


「しかし、くら子さん、これでは…」


「別に、天地がひっくり返った訳ではないのだから心配することないわよ。それよりファッ


クスの紙はまだあったかしら」


「買い置きはこれで終わりです」


「小学校の前のブンブン堂で買って来てくれる?」


 まろみが事務所に戻った時、くら子は電話中だった。ファックスはまだせっせと動いてい


る。


「このファックスも新しいのに換えれば、床が紙だらけになることないのに、こういうとこ


ろがケチなんだから…」


電話が終わったくら子は、まろみをじろりとにらんだ。


「ちゃんと、聞こえてるわよ。古いからといってまだ使えるものを捨てるわけにはいかない


でしょう」


はいはい、と答えるまろみに「ハイは一回でいいの」というくら子の声が飛ぶ。


まろみが調子にのって聞いた。


「ところで、この超常現象はどこから来たのですか?」


「これは、超常現象でも、心霊現象でも、シンクロニシティでも、悪魔や妖怪の仕業でもあ


りません」くら子は断言した。


 宇宙人や不思議なことが大好きなまろみは肩を落とした。


くら子は朝からの騒ぎでばたばたしたから、コーヒーでも淹れましょうと台所に移動した。


「興奮したら、血糖値が下がったみたいで甘いものが欲しくなりました」


と、まろみはクッキーの缶を抱えている。なんだかよくわからない理屈だけれど気持ちはわ


かると、くら子はマグカップにコーヒーを注いだ。まろみはチョコチップクッキーをかじり


ながら聞いた。


「それで、このナイアガラの滝のようなファックスはなんなのですか」


 ナイアガラとはオーバーねえと、くら子は笑ってコーヒーを一口飲んでから説明した。





 くら子の古い友人のマキ・G・ロブが数年前から家事評論家として活躍している。中高年


の女性に向けての講演活動をしていくうちに、ファンクラブができ、それが発展してSGCと


いう団体になった。活動は、インドのアシュラムへヨガの修行に行ったり、フィレンツェマ


ラソンに参加したり、トルコ料理を味わう旅をしたりである。


「その、マキなんとかさんって、外人ですか」


「大阪生まれの大阪育ちの日本人よ。イギリスの人と結婚して、10年くらい向こうにいたみ


たい」


「家事評論家ってよくわからないのですが」


「勝手に肩書をつけたんじゃないの。よく知らないけど」


「なんだか冷たい言い方。はは〜ん、その人が嫌いなんだ」


「嫌いな人とは友達にならないわよ。嫌いな人は単なる知り合いと言います」


「それで、それで、SGCは?」まろみは身を乗り出した。


くら子は笑いをかみ殺しながら答えた。「死ぬまで元気クラブだって」


「…クラブ活動ですか、変なの」


「要するに、"ピンピンコロリ"」


はあ? ピンコロリンですかと言いながら、まろみはこっそり三つ目のクッキーを手にして


いた。


「まろみちゃんは知らなかった? 死ぬ前までピンピンしてて、コロッと逝きたい願望」


「うちのおばあちゃんがお参りしている西町の"ぽっくりさん"みたいなものですかねえ」


「それはお地蔵さんでしょ。この人たちは、自力で頑張ってるみたいよ」


 まろみは4つ目のクッキーに手を伸ばして、くら子に押さえられた。


「糖分取り過ぎ」


ばれましたーと頭をかきながら、まろみはファックスに目を向けた。


「アッ、止まってる」


ほんとだと、くら子はまた波を打っている紙をかき集めた。


まろみはくるっと椅子を回転させ、どうしてこの人たちが申し込んだのですかと疑問を口に


した。


「マキさんが、SGCの新年会で紹介したらしいの」


 申込書を確認しながら、くら子は、会員の平均年齢は五十台後半と見当をつけた。


「でも、家事評論家のファンクラブがなぜSGCなんですか」


「マキさんは手抜き家事の提唱者なの、それで時間を作っていろんなものを見たり食べた


り、心の栄養になるような体験をしましょう。楽して死ぬまで元気でがんばろう、っていう


のがコンセプトらしいのよ」


「なんとなく、ファンになるのがわかるような…」


「マキさんの話によると、不要な物がたくさんあるから、家が狭くなって、掃除も手間がか


かるし家事も増える。そこでうちの『わくわく片付け講座』を紹介してくれたわけ」


「しかし、マキさんの影響力はすごいですね」


「そうねえ、最近はカリスマらしいから。それに、会員の人たちも内心、荷物を減らした


い、身軽になりたいと思ってらしたのじゃあないかしら。そこへマキさんがぽんとひと押し


したものだから、ドッカーン」


「今度の会場には入りきれませんよ」


「マキさんに連絡をして、日程を改めて連絡することにしたわ。事前に話をしてくれれば良


かったのだけれど、あの人は段取りとか、根回しとかとは無縁の人だから」


「ひぇー。そんな人が、家事評論家なのですか」


「妹さんがマネージメントをしているから、本人は言いたい放題なのよ。そういう規格外れ


の人だから、日本ではうまく生きられないからとイギリスに行ったのよ。時代が変わって、


そんな彼女に魅力を感じる人が大勢いるらしい」


「それでは、次回の講座はいつも通りですね」


「ええ、明日にでもマキさんのところに行って、SGCの件は相談してくるから」




 翌日の午後、くら子はマキのマンションを訪れた。インターホンで名乗ると、どうぞと1階


玄関ホールの大きなドアが開いた。18階でエレベーターを降りると、ゴールドのジャンプス


ーツを着たきらきらのマキが立っていた。宇宙人かと思ういでたち。


「マキさん、その衣装は?」


「これ? 来月、皆でエルビスに会いにメンフィスのグレイスランドへ行くから、その時の


ための衣装の仮縫い中」


 ジャンプスーツの袖を振ると、長いフリンジが揺れ、まばゆさが増した。ゴージャスで飾


り立てたリビングを想像していたくら子は、目を見張った。


 和室で床の間があり、窓には障子がはまり、家具と言えば座卓と茶棚だけだった。


フリンジを翻しながらマキは座布団を勧めた。


「びっくりした?」マキは楽しそうだ。


「ええ、予想外でした」


「イギリスの生活でわかったのは、昔の日本の畳の生活がいかに素晴らしいかということ。


この部屋だと、お掃除も、ささっとはたきをかけて、箒でぱぱっと掃くだけだし」


 今の時代に、はたきや箒のある家がどれだけあるのか。くら子には新しい畳のにおいが懐


かしく感じられた。


「確かに、気持ち良さそうですね…」


「くら子の言いたいことはわかるわよ。年を取ったら椅子やベッドの生活が楽だってこと


は、でもね、10年後20年後に備えるより、今を大切にしたいのよ。膝が痛くなって和室がつ


らくなったら模様替えをするかもっと狭い部屋に引っ越すわよ。ロンドンでずっと椅子の生


活をしていて、どれだけ畳に寝転がって手足を伸ばしたいと思ったことか」


確かに、そのお気持ちはよくわかりますとくら子は答えた。


くら子さん、こんにちはとお盆を手に、マキの妹のケイが現れた。


「また、姉さんのくだらない屁理屈を聞かされてるんでしょ。あれこれ言ってるけど、畳の


部屋が恋しくなっただけよ。そのうち飽きるから」


 マキはフンと横を向いた。こういうところは昔と変わらない。ケイとくら子は顔を見合わ


せて笑った。番茶の横には鯛焼きが添えられていた。


マキはむしゃむしゃと頭から鯛焼きにかぶりついた。


「それで、SGCの人たちがどどっとファックスを送ったんだって」


くら子は尻尾から鯛焼きをかじりながら、そうですと答えた。


ケイも鯛焼きの頭をかじりながら、姉さんまた何かやったのとマキをにらんだ。


「それで、今日うかがったのはSGCの『わくわく片付け講座』の件ですけど」


「ああ、それはくら子の都合のいい日に決めて、ケイに連絡してくれたらいいから」


「はい、わたしの方で会場その他のセッティングをしますから、しかしマキさんが家事評論


家とは驚きました」


「そうでしょ。妹のわたしが言うのもなんだけど、こんなに家事をしない人も珍しいのに」


「だから、いいんじゃない。いかに手を抜くか、それだけを考えてきたんだから。たまたま


友人の編集者にそのことを話したら、こうなったの」


「世の中わからないものですねえ」


「ほんとほんと、だから人生は面白いのよ」


 ゆっくり番茶を飲みながら、くら子は床の間の掛け軸に目をやった。


黒々とした大きな勢いのある字で「一日一生」と書かれていた。くら子の視線に気づいてマ


キは訊いた。


「あれも、わたしらしくない?」


「いえ、そういう意味ではありませんが、『一日一生』が"死ぬまで元気"とつながっている


のかなと思ったもので」


「アタリよ。わたしもいろいろ考えたわけ」





 マキの「一日一生」は、一日で一生が終わっても悔いのない日を過ごしたいという思いか


らだった。きっかけは学生時代の恩師の死。大学時代友人もできず、成績も悪くて落ちこぼ


れていたマキを理解し、個性を大切にしなさいと励ましてくれた人だった。


70歳を過ぎ、大学の名誉教授となった恩師は楽しそうにマキに話した。


「わたしの頭の中には、論文のアイデアがあと10くらいあるので、のんびり隠居をしてはい


られません」


しかし、元気そうに見えた恩師はその1週間後、心蔵発作で亡くなった。論文は恩師と共に消


え、世に問われることはなかった。マキにはそれが残念だった。


そして"いつか"という言葉を使うのはやめようと思った。恩師も寿命がわかっていれば、行


動が違っていたかもしれない。やろうと思っていることは、すぐに着手しよう、今を生きよ


うと誓った。両親を早く亡くしたマキにとって、恩師が親代わりだったのだろう。


しんみりとしたくら子に向かってマキは微笑んだ。


「くら子、人生で一番難しいことは何かわかる?」


「さあ、なんでしょう」


「死に方よ。これは自分では決められない。それに誰にも教えられない」


くら子は考え込んだ。


「生き方指南は古来の賢人・偉人の教えから、今流の生き方まで山ほどあるけど、死に方を


教えるものはないのよ。自殺は問題外だからね」


死に方ですかと考え込むくら子に、ケイが、また始まったという顔で湯呑みを片付け始め


た。


「だって、死んで帰ってきた人はいないのだもの。臨死体験でお花畑を見た人はたくさんい


ても、川向こうにまで行った人はいないのよ」


それはそうですけどと、くら子は腕を組んだ。


「SGCは"死ぬまで元気"が合言葉だけれど、これは気持ちの問題なのよ。会員の中には胃


が三分の一しかない人もいるし、持病を抱えた人もいる。だからこそ、今を生きよう、今を


大切にしようと思っているわけ」


戸惑うくら子に、紅茶の用意をしてきたケイが助け船を出した。


「くら子さん、姉さんの話をまじめに考えちゃだめよ。頭がおかしくなってしまうから、い


いかげんに聞き流しとけばいいわよ」


 ケイはこの話題に蓋をして、紅茶と共にスコーンを勧めた。


 ほかほかのスコーンにイチゴジャムを塗ると、イギリスのアフタヌーンティのような気分


になれる。目の前のプレスリーもどきのゴールドのジャンプスーツを着たマキと、死に方を


論じるマキ、どちらもマキだ。そして、スコーンがとびきりおいしいのも現実。


「ところで、プレスリーはまだ生きているんですか」


マキはうっとスコーンを喉に詰め、ケイはぷっと吹き出した。3人で顔を見合わせて思い切り


笑った。


「姉さんたら、どうでもいいことばかりで、肝心のことはお話してないでしょ」


 ケイの言葉にくら子は、まだ何かあるのかと訝った。




「くら子さんの講座のことを話したのは姉だけど、きっかけは会員の方の井戸端会議なの」


 会員の1人が、メンフィス行きのトランク選びの話から、ある女優の話をした。


テレビで還暦を過ぎた女優が、この世とおさらばする時には、身の回りの品はトランク1つく


らいにしておきたいと発言したことに始まる。


 このことで、賛成派と、なにもそこまで派と、後のことなど知らない派の3つに分かれた。


賛成派はもちろん、トランク1つまで荷物を減らすことを良しとした。なにもそこまで派は、


現在の荷物を減らすことを考えればそれでよいのではないかという意見だった。


後のことなど知らない派は、自分がいなくなったら誰かが何とかするだろうから、余計な心


配はしないのだそうだ。この派は家族と同居が多く、賛成派は1人暮らしが多かった。


「そんな事から、片付けなくちゃという話になったの。そこでくら子の事を思い出して。わ


たしの友人にこういう講座をしている人がいますって紹介したのだけれど…」


「お陰さまで、ナイアガラの滝のようなファックスが来ました」


くら子の皮肉はマキには通じない。


「とにかく、いい機会だと思うのよね。メイクやパーソナルカラーの講座もあるんでしょ。


会員の人たちも楽しみにしているから、よろしくね」


 土産にと、ケイから手渡された紙袋にはスコーンが入っていた。


 事務所に戻ると、まろみが電話中だった。


 くら子が出かけた後、SGCの会員からの問い合わせの電話が続いたそうだ。


「講座の日程が決まったら、ケイさんが会員の方たちに連絡してくれるの」


それを早く言ってほしかったと、まろみはふくれた。


「ケイさんからお土産をもらってきたのだけれど…」


くら子はまろみの前で紙袋をぶらぶらさせた。


途端に、まろみの表情が真剣になり、鼻の穴をぴくぴくとふくらませた。


「これは焼きたてのシフォンケーキかクッキーのにおい」


「スコーンでーす」


くら子が言い終わらないうちに、まろみは紙袋をひったくって、お茶の用意をしに台所へ消えた。    




 3ヶ月後。


SGCの会員向けの『わくわく片づけ講座』を開催するにあたり、くら子はケイに相談した。


事前にアンケートをとってもらい、「トランク1つ派」「なにもそこまで派」「後のことは知


らない派」を調べた。


 名簿を見ながらまろみが計算し、報告した。


「トランク派」が1割、「そこまで派」が7割、「知らない派」が2割です。


 スコーンにかぶりついているまろみの前で、アールグレイの紅茶を飲みながらくら子は


SGCのメンフィス旅行から始まった、トランク1つのきっかけを話した。


「なるほど、冥土の旅にはトランク1つですか」


「ふむ、言い得て妙だけど…まろみちゃん、最近疲れてるみたいね」


「はい、いろいろと忙しいもので」


「マキさんがもう一人くらいエルビスのツアーに参加できるっておっしゃってたけど」


「えっ、もしかして出張扱いですか?」


「もちろん、自費です」


あーあ、やっぱりと、まろみは最後のスコーンにかぶりついた。


「くら子さん、ひとつわからないのですが」まろみが首をかしげた


「知らない派は、別に片づけなんて気にしてないのに、なぜこの講座に参加するのですか」


「これはわたしの推測だけど、第一に、皆が参加するから参加したい。半分は井戸端会議み


たいなものだし」


「いないと、どんな悪口を言われるかわからない! ですか」


「それは極端な話だけど。第二に、片づけは気にしないと言いながらも、どこかで気になっ


ている」


「確かに、そうかもしれませんね」


「それに、そんなことを考えたこともなかった人が、『トランク1つ』の話で、意識が変わる


かもしれないしね。そこで、この3つの派を各グループに振り分けてちょうだい」


「了解」




 SGCの会員向け「わくわく片付け講座」は、朝10時から夕方4時までの1日講座である。


7〜8でグループになり、実習をする。


 午前中は、メイクやパーソナルカラーで、なりたい自分のイメージを決める。


講座で一番盛り上がるのはこの時間である。お互いに批評しながら、眉を描いたり頬紅を塗


るのは、男性にはわからない楽しみであろう。


また、シンプルライフを標榜し、いつも素ッピンを売り物にしている女性も、皆にこんな機


会に遊んでみたらと誘われ、薄いメイクをすると顔色が良くなり、若く見えると言われてま


んざらでもない様子である。


 パーソナルカラーで似合う色を診断されると、これでたんすの肥やしも似合わないとわか


ったから思い切って処分できるという声が多かった。


「後は知らない派」の河内未冬は、似合わない服は置いておけば誰かが着るだろうから、処


分することはないでしょうにねと、気軽に村井幸恵に話しかけた。


「誰かって、誰ですか?」


幸恵の問いに未冬は口ごもった。


「そ、そりゃあ…家族がいるから…娘とか」


「娘さんと洋服のサイズは同じですか」


「娘はわたしより背が高いから…体重はわたしの方があるけど」


それでは、無理ですねと言う幸恵の言葉に未冬はむきになった。


「まあ、娘はダメでも、妹がいるから体型は似たようなものだし」


「洋服の好みは似ていますか」


「違いますよ。妹は長年公務員だったから…」


 テーブルの他の5人も静かになり、2人の会話に注目した。


「だったら、誰も未冬さんの洋服を着る人はいないのでは…」


遮るように未冬の声が高くなった。


「な、難民に寄付するとか、いろいろあるじゃないの」


「誰がいつ難民に寄付するのですか」


それはと、未冬は下を向いた。


「そんなにいじめなくても、いいんじゃないの。未冬さんが洋服を溜めこんで、山ほどのゴ


ミを残してあの世に行ったって家族が困るだけで、わたしたちには関係ないのだから」と輝


美が口をはさむ。


取りなしたつもりの輝美だったが逆効果で、未冬の顔色が変わった。


「輝美さん、わたしの洋服がゴミばっかりだというの」


いえ、なにもそんなことは、ねえ、皆さんとおろおろしながら同意を求めたが、無駄だっ


た。


「今はゴミでなくても、いずれゴミになるということよ」


幸恵の強い口調に、未冬は鼻をすすっている。


気まずい雰囲気のテーブルに「これからランチタイムでおいしいお弁当をお配りしまーす」


というケイの声がひびいた。


 会員とは別のテーブルに座っているまろみは、目の前の幕の内弁当のふたを開けながらう


れしそうだ。


「ホテルの宴会場で講座をすると、豪華なランチが食べられて幸せです」


「そうねえ、100人入る会場で、食事の提供ができるところと言うとホテルしかないでしょ


うねぇ。これも会費に含まれているから」


 ケイは食事がいきわたっているかどうか見て回っており、マキはどこかのテーブルで話し


こんでいる。まろみは箸の先の人参を見ながら、ささやいた。


「こんな梅の形に切った人参を久しぶりに見ました」


「和食は味だけでなく、目で見て美しいのも重要な要素だから。ぜいたくと言えばぜいたく


だけど…」


 2人がのんきに人参の話をしている頃、未冬のテーブルではまたしてもゴミ問題が蒸し返さ


れていた。


「さっきの話ですけど、わたしの洋服がゴミなら、輝美さんや幸恵さんの洋服はゴミじゃな


いのですか」


輝美が答えようとするのを制して、幸恵がほっときなさいと言った。


「ほっときなさいとはどういうことよ」


未冬は箸を置いて立ち上がった。


「今は食事の時間ですよ」幸恵は未冬を無視して箸を動かした。


「わたしの洋服がゴミと言われたままでは、食事ものどに通らない」


「それなら食べなきゃいいのよ。ダイエットになっていいかも。ふふん」


「わかりました」と未冬はだまりこんだ。


未冬と幸恵の間には輝美が居心地悪そうに座っている。未冬は席を移ろうとして弁当を持ち


上げた。輝美が止めようとして手を出したのがまずかった。未冬はバランスを崩し、輝美の


頭に料理がぶちまけられた。


うわっ、キャッ、えーっ、そんな、さまざまな声があがり、未冬はぼうぜんとして立ってい


る。輝美が頭を振ると、小さな梅干しと高野豆腐が床に飛んだ。





 ケイが素早く行動した。


「輝美さん、化粧室に行きましょう。くら子さんは未冬さんをティールームにお連れしてく


ださい。他の方々はお食事を続けてくださいね」


 ざわつく会場内に、マキがマイクでお静かに、食事の後にはコーヒーか紅茶が出ますと案


内した。ロビーの横のティールームでミルクティーにブラウンシュガーを三つ入れて、スプ


ーンでゆっくりかき回している未冬は目に涙を浮かべていた。


くら子もコーヒーを飲みながら、未冬の言葉を待った。店内にはピアノの曲が流れていた。


「輝美さんに、あんなことをしてしまって、わたし…」


「なにがあったのですか」


 未冬は自分の洋服がゴミだと言われて腹が立ってかっとしたことを話した。


「洋服はわたしにとって大切な物です。それを…」

 

 未冬の母は洋裁が得意でワンピースやコートまで仕立ててくれた。未冬に似合う襟の形や


ラインはいつも他人にほめられた。母が亡くなっても、洋服を買う時はその形にこだわっ


た。


「わたしは、今でも洋服で母とつながっているのです」


「幸恵さんは、そのようなご事情をご存じでなかったでしょうね」


未冬はこくりと頷き、涙を流してしゃくりあげながらつぶやいた。


「こんなことをして、わたしはもうこの会には参加できなくなりますね」


「そんなことはありませんよ。輝美さんもわかってくださると思いますよ」


そうでしょうかと、未冬はくら子を上目遣いに見た。


「事情が分かれば、みなさんもわかってくださると思いますよ。この講座でパーソナルカラ


ーを取り入れているのは、一つには洋服の処分をしやすくすることなのです。女性はなかな


か洋服を処分できないので、似合う色が分かれば、似合わない色の洋服に別れを告げやすく


なるかと思いまして。二つ目は、今後の洋服選びのご参考という意味ですが」


「そこが問題なのです」



 

 くら子は、未冬が"自分の似合う色"に不満なのかと思った。


ごそごそとバッグの中から"自分の似合う色"のカラーサンプルを取り出し未冬は小豆色のジ


ャケットに重ねた。


「ほら、この色と私が着ている服と、ほとんど同じ色でしょう」


くら子はうなずいた


「洋服のデザインもですが、色も、私に似合う色はこの色とこの色という風に、母は教えて


くれていたのです」


「だから似合う色の洋服しか着ておられないということですね」


「そうです。だから、余計捨てられない」


くら子は腕を組んで考え込んだ。


「未冬さん、お母さまが残されたのは洋服でしょうか。それとも未冬さんの個性を大切にし


なさいということでしょうか」


くら子の言葉は未冬には意外だったらしく、切れ長の目を見開いた。


「個性?」


「そうです。未冬さんらしさを引き出すには、この色で、このラインと考えておられたので


しょうね」


「わたしらしさ?」


くら子は頷いた。未冬の母が残したのは洋服ではなく、輝いて生きて欲しいと願う母の思い


だったのではないだろうか。


冷めた紅茶を飲みほして、未冬は胸を張った。


「もう一度、ゆっくり考えてみます。それに輝美さんや…幸恵さんにも…謝ります」


2人がテーブルに戻ると、輝美も笑顔で席についていた。


「おかえりなさい」


思いがけない幸恵の言葉に未冬の声が震えた。


「輝美さん、幸恵さん、みなさんごめんなさい」


 午後の講座はなごやかに進んだ。




 3時のコーヒータイムに、未冬は立ち上がって、テーブルの一人ひとりの顔を見てありがと


うございましたと頭を下げた。


「なにもしてませんけど、なんのお礼ですか」と幸恵が尋ねた。


「いえ、いいんです。お礼が言いたかっただけなので」


 未冬の笑顔に皆は顔を見合わせた。母が教えてくれたのは、自分らしく輝いて生きること


であって、洋服を貯めこむことではなかったのだと気付かせてくれた感謝の気持ちだった。


トランク1つとはいかないまでも、母の思い出というモノに執着するのではなく、これからの


自分に目を向けたいと思った。


「ところで、幸恵さんはトランク一つに何を詰めるのですか」


突然の問いに幸恵は躊躇せずに答えた。


「思い出と感謝」


皆の手が止まった。


「わたし、癌なの」


ごめんなさい。そんな事とは…未冬は絶句した。


幸恵は手を振った。


「いいのよ。気にしないで。早いか遅いかの違いだから」


 未冬は今日のこと、幸恵のことを忘れないでおこうと思った。


 





およそ10年前に書いたものなので、FAXが大活躍。今のようにスマホでメールの時代ではあ


りませんでした。書き換えようかと思いましたが、10年ひと昔で世の中の変化を伝える意味


で、ここはそのままにしておきました。


この中に出てくる「トランク1つ」とおっしゃった女優さんは、2018年に亡くなった樹木希


林さんのことです。テレビドラマの「寺内貫太郎一家」の頃は、面白い方だと思い、その後


は稀有な才能の方だと思っていました。合掌


2018年9月17日ブログ ご近所の花園と「オフィーリア」 にも書いています。




 








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