30 、スピンオフ ローゼン整理


老前整理はK社スタッフのまろみの夢のお告げ?




 20分遅刻だと思いながら二日酔いの頭で事務所のドアを開けたまろみに、おはようという


くら子の元気な声が響いた。


「すみません。昨夜は友達と調子に乗って飲みすぎました」


くら子は熱い番茶と、梅干を載せた皿をまろみに渡した。梅干は和歌山の受講者が送ってく


れた果肉たっぷりの極上品である。


「くら子さんは朝から元気ですね」まろみが珍しいものでも見るようにささやいた。


「昨日お風呂でひらめいたの!」


「また、どんなとんでもないことを考えたんですか」


「本を書こうと思っているけど、タイトルが決まったの」


右手でこめかみを押さえながら、まろみは熱い番茶をゆっくり飲んだ。


「はあ? まだ本の影も形もないのに、タイトルですか」


「そうよ、ネーミングが重要なのよ」


くら子の目がきらきらと輝いているのが、二日酔いのまろみにはまぶしかった。


それでと梅干で口をすぼめているまろみにはおかまいなく、くら子はまくしたてた。


「老前整理よ、ろ・う・ぜ・ん・せ・い・り」


「漏電整理?」


「老いる前の整理で老前整理よ。単純に片付けや整理ではニュアンスが違うし、前からピン


とくる言葉が見つからなくて、ようやく気が付いたのが老前整理よ。どうしてこんな簡単な


言葉を思いつかなかったのかしらね。グーグルやヤフーで検索しても出てこないのよ」


まだ休止状態のまろみの頭の上をくら子の言葉が飛び交っている。


「まろみちゃん、流行語大賞になったらどうしよう? 今年は無理としても、来年には…」


「くら子さん、それはまだちょっと早いかと。わたし頭がガンガンしてきました」


「ガンガンでもドンドンでもいいわよ。こういう言葉は一番初めに活字にした人が言葉を作


ったことになるのかしら、それともホームページやブログに書くと記録に残るのかしら…誰


に聞いたらわかるのだろう? 今日は2009年8月19日でーす」


「いったい、何を食べたらそんなにハイになるのですか。豆大福でもここまでは…」


「まろみちゃんが二日酔いだからそう思うのよ。これはK社の未来がかかっているのだから重


大問題。50歳から始める老前整理とか、元気な人の老前整理とか、まだまだあるわね」


 まろみの頭の中ではドラムが大音量で鳴りだした。


「老前は漢字が解りやすいかしら。それとも、カタカナでローゼンのほうがイメージが良い


かしらねえ。ローゼンはローズ、バラの花につながるかしら、それとも外国語のローゼンな


んとかみたいな高級感があるかしら。どう思う? まろみちゃん」


「どうもこうも、わかりません。それより少し静かにしてもらえませんか」

   




 どこかで聞いたオルゴールが鳴っている。


 重い目を開けると、デジタルの時計は1012と表示している。あの音はゴミの回収車の音


だ。


 しまった、寝過した。まろみはかけ布団をはねのけ、もう一度時計を見た。窓の外は明る


い。


 くら子に電話をかけて遅刻を謝ると、しかたないわねと笑い、今日は外へ出る予定もない


からしっかり朝ご飯を食べて、お化粧してきなさいねと言われた。


 以前、朝寝坊をした時に顔も洗わず、寝ぐせのついたで頭で出社したので、あまりみっと


もないことはするなということだろう。


 電車に乗ると空いていた。たまにはこんな風にのんびり座って会社に行くのもいいものだ


と思った。


 窓の外の景色を見ながら、なぜ目覚ましが鳴らなかったのかと考えているうちに、あれは


夢だったのだと気がついた。


 なぜか異常にハイになって、流行語大賞がどうとか言っていたが、あんなくら子さんは初


めてだった。それにしても妙にリアルな夢だったが…。


くら子さんは確か「ローゼンセイリ」と連呼していた。


 昨年の暮れごろに本を出したいと言ってたけれど、そのことがわたしの潜在意識に残って


いたのだろうか。それにしても、ローゼンセイリはどこから来たのだろう。もしかしたら、


夢のお告げかも…。


 まろみが事務所に入ると、応接コーナーでくら子と女性の話し声が聞こえた。


「まろみちゃん、来たの?」


 はい、と応接コーナーに顔を出すと、来客はM出版の醍醐日名子だった。


日名子も昨年の「わくわく片付け講座」を受講者した1人である。


「日名子さんは、本の出版のことで来てくださったのよ」


「えっ、まさかくら子さんが出したいと言ってた、あれですか」


 日名子のまろみちゃんは変わらないわねえという言葉に、まろみは寝癖を直してきて良か


ったと思った。


「最近、新聞や雑誌でも自分や家族の身辺整理についての記事が増えているらしくてね。日


名子さんの会社でも、こういう時代だからアラ還向けの整理や片付けについての本を出そう


ということになったらしいの」


「くら子さんが書くのですか?」


 日名子は頷いた。


 まろみの肌に鳥肌が立った。


「あの、それで本のタイトルは?」


 昨夜の夢を思い出しながら、まろみは恐る恐る日名子に聞いた。


「それがまだ決まってないの。くら子さんはどう思われますか」


 難しいですねとくら子も首をかしげた。


   




  実はと、まろみが昨夜見た夢の「老前整理」の話をすると、2人はソファーを叩き、涙を


浮かべて笑い転げた。


「さすが、まろみちゃんね、流行語大賞まで飛躍するところがただ者ではないわ。こうなっ


たら、夢のお告げを信じて老前整理にしましょうか。これが正夢で流行語大賞が取れるくら


い本が売れたら、K社も弊社もえらいことになりますよ。老前をカタカナにするかどうか


は、帰って上司に相談してみます。くら子さんもそれで良いですか」


「はい、けっこうです。まろみちゃん、流行語大賞の授賞式には2人で行きましょう」


「もう、くら子さんったらすぐ乗るんだから」


「くら子さん、本についての企画で、もうひとつお話ししなければならないことがあるんで


す」


 3人で盛り上がったあとだけに、日名子は言い出しかねていた。


「はい、なんでしょう。今日は4月1日ではないですよね」


 苦笑しながら、日名子は説明した。  


 日名子の会社では本にする前に、実験的にブログで発表したいというのである。そうすれ


ば、少しずつでも読んでくれる人が増えるだろうということと、無料のPRになるからだそう


だ。


 くら子が考え込んでいると、まろみがそれでは話が違うと日名子に食ってかかった。


「ブログっていうことは、毎日書かないといけないんじゃないですか」


「い、いえ、毎日でなくても良いです。できれば毎日がありがたいのですが。これは実験な


のですよ」


「実験? くら子さんはモルモット? 誰かのブログ小説が売れたもんだから、甘いことを


考えているんじゃないですか。それで、ブログがうまくいかなかったら本の出版は取りやめ


とか」


 日名子は大げさに手を振って、そんなことはありませんと否定した。


「でも、ブログで発表すれば誰も本を買わなくなるじゃあないですか。そんなの困ります


よ」


「まろみさん、ブログを見る世代と、ほら、さっきの『老前整理』を考える人たちは違う層


です」


「それなら、意味ないじゃないですか」まろみは不服だった。


「これは、本を買う『アラ還』世代以上の人たちの息子や娘に読んでもらうのです。遺品整


理は大変だから、親ごさんが元気なうちに、ご自分で老前整理をしといてもらいましょうと


いう、アラ還の子どもたちへのナビゲーションとプロモーションなんです」

   




 黙り込んだまろみに日名子が続けた。


「うちの会社は小さな会社ですし、ベストセラーを出したこともありませんが良心的な仕事


をしているつもりです。ただ、新聞にくら子さんの新刊の広告を出す余裕もありませんし、


売ると言ってもルートは限られています。だけどブログなら無料で長期的にPRができます」


 2人の会話を黙って聞いていたくら子が、静かにわかりましたと答えた。


「えっ、ほんとですか」


「ただし、どの程度書けるかわかりませんよ。それに、読んでくださる人がいるかどうか


…」


「はじめは不安でしょうから少しずつ書いてください。時期を見てK社の名前を出してくださ


れば、会社のPRにもなると思いますよ。ついでにうちの会社から出版予定があることも書い


てくださいね」


 日名子さんも抜け目がないんだからと、まろみがひとりごちた。


「とにかく、ダメで元々だから、やってみましょう」


 くら子の言葉に、ああ良かったと日名子はソファにへたりこんだ。


 それではよろしくお願いしますと日名子が笑顔で帰ると、今度はまろみがソファーにへた


り込んだ。


「なんだかこの1時間は、嵐と竜巻と台風が一度に来たようで疲れました」


くら子は苦笑しながら、私にはとても有意義な時間でしたと空になった来客用の茶わんを片


付けた。


「くら子さん、ほんとに、ブログの話大丈夫ですか? いや、誤解しないでくださいね。内


容の心配ではなくて、ブログを書く時間があるのかと思って」


「そんなの簡単よ。まろみちゃんが頑張ってくれれば、その分わたしにも時間ができるでし


ょ」


 まろみの目が点になった。


「わかりました。K社の未来は私の肩にかかっているということですね」


「はい、そうです」くら子は姿勢と正した。


「そんなに簡単に言わないで下さいよ」


「何もわざわざ難しく考える必要はないでしょう? とにかくできることをひとつずつやれ


ばいいのよ。整理・整頓と同じでしょ」


「そうですね。手が八本あるわけじゃなし。おまけに頭はひとつだから」


「ブログのことは、さっきも言ったようにダメ元でいいのよ。うまくいかなくても、K社とし


てリスクはないのだから」


「リスク? 確かに、これ以上失うものはないですね」


「そうよ。無駄になるのは私の時間だけ、それも思考のトレーニングだと思えばプラスには


なってもマイナスにはならない」


「さすが、転んでもただでは起きないくら子さんだ」


「それって、あまり人聞きが良くないけど…」


「そうですか。ほめてるつもりですけど、細かいことは気にしないでください」


「そうそう、日名子さんのお持たせのチーズケーキがあるのよ。いかが?」


「もちろんいただきます。脳を働かせるには甘いものが必要なんです」


   

「わくわく片付け講座」完





妄想の世界では何でも自由に書けます。


ただ2009年8月19日というのは「老前整理」ということばが浮かんだ日というのは事実で


す。


またこの時点で、老前整理の本を出すことは夢のような事でした。


だから当時、このブログを読んで下さった方は、バカなことを書いてるなと思われていたで


しょう。(私もそう思っていました)


そして1年後の2010年8月に出版のお話を徳間書店からいただき、2011年に『老前整理』を


上梓しました。


世の中、何があるかわかりませんね。そして1年間、blog小説を書きながらシュミレーショ


ンしたことが、後に役立ったのだと思います。


もちろん、小説「わくわく片付け講座」が活字になることはありませんでしたが、当時の私


にできることはこれしかなかったし、書いて良かったと思っています。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。




 







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