bU  片付かないから離婚


    足の踏み場もない家で単身赴任から帰った夫が…




「すっきり暮らそう、『わくわく片付け講座』のK社で〜す」

まろみのテンションの高さとは対照的な、思いつめた口調の電話が受話器から聞こえた。

「神田圭子です。実は2か月前に一緒に講座に参加した秋田さんのおうちはとてもスッキリし

て、ご主人と離婚されましたの」

「はあ? 離婚のためのアドバイスをお望みでしたら…」

「いえ、離婚するといわれているのはワタシです…とにかく来てください住所は…」

 神田邸はゆるやかな上り坂が続く閑静な住宅街の一角にあった。

 隣近所の庭には季節の花が美しく咲いているが神田家の庭だけがまるで空き家のように荒

れていた

「くら子さん、講座を受けてもどうにもならなかったみたいですね」

 まろみが雨戸の閉まった2階を見上げてためいきをついた。

「講座はきっかけなのだから、自分で出来ないと思ってSOSを発信したのは正解よ。だから

無駄じゃなかったわよ」

 くら子がインターホンを押そうとした瞬間、玄関のドアがゆっくりと開いた。

「すみません。もうどうしていいかわからなくて」

 清実は肩の落ちた抹茶色のジャージー姿だった。

化粧っけのない顔は、眼の下にジャージーと同じ色のくまができている。

しかし、扉の内へ案内する気配はなく、下を向いて固まったままだ。

「お宅を拝見しないとアドバイスはできませんが」と、くら子は軽い調子で言った。

「そうですね。でも、あの、あんまりひどくて…どうしようもないんです」

「大丈夫。少々のことでは驚きませんよ。エジプトのミイラでも埋まっているなら話は別で

すが」

 圭子は、一度大きく深呼吸をして、ゆっくりドアを開けた。

 暗い家だった。目の前には段ボールの壁があり、箱と箱の間は30cmほどの空間しかな

い。
 
まろみがヒェーと声をもらし、くら子に足を踏まれてウゥムと顔をしかめた。
 
玄関、廊下と、壁のすき間をクモ男のように手足を伸ばして横歩きで進み、リビングらしき

部屋に出た。

20帖はあるだろうと思われるリビングルームも衣装ケースや段ボールの山で、あわてて片付

けたらしいソファーの上だけが、かろうじてありのままの形を見せていた。

 こんなものしか出せなくてと、圭子はおずおずと缶コーヒーを差し出した。

 くら子はコーヒーを受け取り、一口飲んでから周囲を見渡して、どうしてこんなに箱があ

るのでしょうかと訊いた。

 圭子はソファーの横の白い衣装ケースの上にちょこんと座って話し始めた。 

 専業主婦で、家族の世話をすることが生きがいだったが、夫がブラジルに単身赴任し、続

いて娘と息子が大学を卒業すると、することがなくなり、暇をもてあましてカルチャーセン

ターに通った。そこは女性の社交場であり、毎回同じ洋服を着ていくことはできない。洋服

に合わせたバッグや靴も欲しい。そして、もっともっとという悪循環が始まった。

 夫はプロジェクトが軌道に乗るまでは帰国できないといい、結局7年間一度も帰国しなか

った。なぜが電話やメールも通じないし、あちらに女性がいるのではないかと疑心暗鬼にな

ればなるほど、圭子はものを買った。

「箱の中は全部、洋服やバッグですか」

「食器や健康器具もあると思いますが…開けて見たことがないのです」と圭子は肩をすくめ

続けた

「なんだか、何をするのも面倒くさくなって、外にも出たくないんです。食事は夜に近くの

コンビニでお弁当やカップラーメンを買います。子どもは…娘はカナダに留学して、そこで

知り合った人と結婚して帰ってきません。息子はこんなゴミ屋敷にはいられないと、会社の

寮に入っています」

「お電話で、離婚とおしゃってましたが、ご主人はまだブラジルですか」

 圭子は下を向いて、足もとの箱を軽く蹴った。

「いいえ、2か月前に帰国しました。今は会社の近くのマンションで暮らしています」

「どうしてマンションに?」

「主人はブラジルに行って40キロも太ったのです。だから…友達にもこんなこと話せなく

て・・・」圭子はわっと泣き崩れた。

 つまり、30センチのすき間が通れなくて家に入れない。これは物理的な問題だ。しかし、

本当の問題はもっと別のところにある。ひくひくとしゃくりあげながら圭子は続けた。

「息子も夫も捨てろって怒鳴るんです。でもせっかく買ったのに、もったいなくて」

「家は何のためにあるのでしょう」

「…住むためです」

「そうですね、住むというのは、ただ雨露をしのぐことでなく、家族で食べたり飲んだり、

くつろいだりという、暮らしの上に成り立っています。講座に参加されたのも、ご家族と普

通の生活を取り戻したいと思われたのではないですか」

「はい」小さな声だった。

「講座に参加して、どう思われましたか」

「すっきりしたいと思いました。でもできないんです。いざ、箱を開けてみると、これは、

まだ着られるのにもったいないと考え、結局また箱に戻してしまいます。それに疲れやすく

て、段ボールの箱が重たくて…」

 ある精神科医は「捨てられない」というのは、ストレス過剰のシグナルでもあるとしてい

る。片付ける気力が出ないほどエネルギーが低下しているのである。

 くら子が手始めにソファーの横の箱を開けてみると、ブランドのタグが付いた洋服が積み

重なっている。一番上のシフォン地でピンクや淡いグリーンの混じった花模様のLLサイズ

の洋服を広げた。

「このワンピースは娘さんのものですか」

「いえ、私のものです…昔はもっと太っていたので。一度、段ボールの間にはさまれて動け

なくなったので、やせなくてはと思い、1日2食にしたのです」

健康の問題は別にして、モノを捨てれば広い空間でシフォンのLLサイズのドレスを着て楽

に暮らせるにもかかわらず、段ボールのすき間を通るために1日2食にしてやせたという。

今ではMサイズで入るだろう。そして、やせた今ではLLの服は着られないという矛盾にも

気が付かない。

人間は追い詰められ、混乱すると、目の前の現実が見えなくなるのである。

 きっかけは人により違うだろうが、だれもがこのような状況に陥る可能性を持っている

し、それを責められない。

「もうこのドレスは着られませんがどうします」

「捨てたほうがいいのでしょうね。でも、また太ったら…」

「太りたいですか。ダイエットをしてもなかなか痩せられない人が多いのに。一番もったい

ないのは、着られない洋服で空間をふさいでいることではないでしょうか」

「そ、そうですね。頭ではわかっているんですが…やっぱり、ふんぎりがつかなくて」

「それで私を呼ばれたのでしょう。どうします」

 圭子は2秒ほど考え、やります、なんとかしてくださいとくら子にすがりついた。

まろみは携帯電話で、リサイクルショップ「ひきとりや」の小渕に連絡し、すぐ来てもらう

ことにした。

「ではまず、サイズの合わない洋服からはじめましょう」

「ひきとりや」の小渕は助手の瑠璃と、庭に積み上げた箱の中身を点検し、リストを作成す

る。
 
洋服から始まり、箱が減っていった。不思議なもので、一度エンジンがかかれば、スムーズ

に進む。

「ひきとりや」に引き取ってもらえないものは本人に捨ててもらうことにした。

 山ほどあった箱や衣装ケースは、開けてみると、予想に反して中身はわずかで、どうやら

片付けるために次々と衣装ケースや段ボールの箱を買い足していったらしい。

 神田邸は腕の良い大工が建てたようで、ものがなくなり、たまった綿ぼこりに掃除機をか

けると、リビングに素晴らしい楢の木目のフローリングが現れた。

「信じられない」と圭子は涙ぐんで部屋を見回した。

 3ヶ月後に圭子からK社に絵葉書が届いた。

「夫婦でメキシコ旅行中。毎夜、タコスにハマっています。また太りそう!」

別居中だった夫との関係が、海外旅行をするまで回復したのならそれで良しとしよう。くら

子は、圭子のファイルに絵葉書をはさみ、「終了」のボックスに収めた。

 





*元の原稿「片付かないから離婚」を短くするために半分削りました。

元の原稿から制作したのが「落語 老前整理 片付かないから離婚」DVDです。

DVD『落語 老前整理 vol.1 「片付かないから離婚!」 』

収録内容(計32分) 

 【チャプター1】老前整理について ミニ講座
 (約10分)くらしかる 坂岡洋子

 【チャプター2】落語 老前整理 (約20分) 桂雀喜
  
     


DVDの一部をYouTubeでご覧いただけます↓

http://youtu.be/WSPXqmvIMp0

上の動画が見られない方はこちらから

→http://youtu.be/xVVWN_0nJfY


DVD 定価3000円+消費税 



  








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