bX 開かずの押し入れ  




 外出から戻ったくら子に留守番のまろみはメモを見ながら伝えた。


「去年お部屋の片付けにうかがった明石さんから、お電話があって…」


「また片付けの依頼かしら」


「それがね、ホラーみたいです」と、まろみはぶるぶると肩を震わせた。


「まろみちゃん、ミステリーの読みすぎじゃないの」


「違いますよ。明石さんはまじめにおっしゃいました」


「喉が渇いたから、お茶を一杯飲んでから、ゆっくり聞くわね。まろみち


ゃんも飲む?」


「はい、いただきます」


 お茶を入れているくら子の背に、豆大福が来ました〜という声がかかっ


た。


おれは豆大福か、と言いながら、古書店ぽんぽん堂の恵比寿がくら子に豆


大福の包みを渡した。


「それでは、豆大福を食べながら、まろみちゃんのホラーの話を聞きまし


ょう」


「明石さんがおっしゃるには、実家におじいちゃんがひとりで住んでおら


れた離れがあって、そこに誰も開けてはならぬという押入れがあったそう


です。おじいちゃんは、遺言で、自分が死んでもこの押入れは開けるなと


いうことで、何十年もそのままで、家族も忘れていたようです」


「それで、開かずの押入れってわけね。それなら今さら…」


「今度、離れを取り壊すことになって…」


「開けてみりゃあいいんじゃないの」恵比寿がこともなげに言った。


「それが、開けると祟りがあるとか、遺言を守らないのかとか、江戸時代


のお宝が眠っているとか、いろいろ親族もうるさいようで」


「それなら、うちより、お祓いでもしてもらって、遺品整理の方にお願い


した方が…」


「でも、明石さんが、是非K社にお願いしたいということなんです」


「だから、押入れを開けて、中を見ればいいんだろ。簡単なことじゃない


か」


 恵比寿さんは簡単なことだって言いますけど、どうなのでしょうねえ


と、くら子は考え込んだ。


「もしかして、骸骨が眠っているとか…」まろみが声を潜めた。


「面白そうじゃない。骸骨が出るかお宝が出るか、おれも一緒に行くよ。


だから、仕事引き受けなさいよ」


 恵比寿に押し切られる形で、明石家の「開かずの押入れ」の片付けを引


き受けた。

 

 主がなく何十年も放置されていた離れ屋は、廃屋になっていた。


「くら子さん、面倒なことをお願いしてごめんなさいね」と明石須磨子は


頭を下げた。


「いえ、一間(いっけん=約180p)の押入れの片付けですから、それほ


ど手間はかからないと思います」


 中に入ると、じっとりとカビ臭かった。


室内には何も無く、問題の押入れは、床の間の横にあった。


「ここなんです。祖父が大きな南京錠をかけていたので、誰も開けられま


せんでした。壊せばいいのですが気持ち悪くて、祖父の遺言を良いことに


放っておいたのです。昨日、錠前屋さんに頼んで、はずしてもらいまし


た」


「もしもの時にと、バールを持ってきたんですが、必要なさそうですね」


恵比寿は道具箱を畳に置いた。


 くら子はまず、現状写真を撮りますと断って、まだ開いていない押入れ


と部屋の様子をカメラに収めた。


 恵比寿が取っ手に手をかけたが、湿気で襖と敷居の木部が反っているの


か、動かない。


まろみも横で手伝ったが、動く気配はなかった。見かねた須磨子は、たた


き壊してもらって結構ですと恵比寿にうなずいた。


合点承知と、恵比寿がバールで叩き、戸を持ち上げると、はずれた。


 四人の目の前に黒い壁が現れた。眼を凝らして見ると、黒漆の一閑張り


の箱が一面納められていた。


「これは特別注文で、この押入れにきれいに収まるように作られたんだな


あ」と興奮している恵比寿を見て、須磨子の不安が増した。


くら子はまた写真を撮った。


 四人とも、早く中身を見たいけれど見るのがこわいような気がして緊張


した。


「わざわざ職人に作らせるほどのものが入っているのでしょうね。収納の


お手本みたいにきれいに納まっているわ」と、余分なすき間がないことを


くら子は確かめた。


「国宝級の御宝かもしれんな」


恵比寿の言葉に、須磨子はごくりと唾を呑んだ。


「まろみちゃん、貴重品が入っているかもしれないから、布を敷いてちょ


うだい。その上で、ひとつ開けてみましょう」


 三人は白い手袋をはめた。漆の表面にべたべたと指紋を付けない配慮


だ。


恵比寿がそっと箱をひとつおろし、白い布の上に置き、よろしいですかと


須磨子に訊いた。


は、はい、お願いしますと須磨子も姿勢を正した。八つの目が箱に注がれ


た。


恵比寿がゆっくりと蓋をあげると、黄ばんだ大学ノートがびっしり詰まっ


ていた。


「あー、良かった。日記が入っていたのですね。日記なら見られたくない


ですね」と、まろみが口を切った。


 くら子は、日記なら自分で処分することもできただろし、焼き捨てるよ


うにと遺言することもできたのではないかと思った。


恵比寿の中を見ても良いかという問いに、須磨子はゆっくりとうなずい


た。


一冊を手に取り恵比寿は、頁をめくっていった。ノートは青インクの万年


筆で書かれた文字でくら子もまろみも覗き込んだが、読めなかった。


「これは日記じゃないな」


「日記でなければ…」須磨子は不安そうだ。


「まだ、よくわからないのだが…」恵比寿は口を濁した。二冊目、三冊目


と頁を繰った。


「他の箱も見た方が良いでしょうか」とくら子が訊いた。


ううむ、と恵比寿は腕を組んだ。。


「何が書いてあるのですか、恵比寿さん、連続殺人鬼の記録とか」と、じ


れったそうに、まろみが大学ノートの一冊を手に取った。


連続殺人ですって、と須磨子は震え上がった。


「須磨子さん、まろみちゃんの言うことを気になさらないでくださいね


近頃ミステリー小説に凝ってるもんで。恵比寿さん何とか言ってください


よ」


「他の箱も見てみようか」


ひとりが一つずつ箱を抱えて下ろし、順番に箱を開けた。


三つには大学ノートが入っていた。



 4つめを開けると、恵比寿がやっぱりと息を呑んだ。


「なーんだ、和綴じの古い本じゃないですか」と、まろみはがっかりした


というように恵比寿を見た。須磨子もからだの力が抜けた。


「それが…」恵比寿の歯切れの悪さに、くら子がうなずくとまろみの視線


が動いた。


「なんだか怪しい。二人は何かを隠している」


「何が怪しいのですか。この本が何か…」須磨子もわからない。


仕方ないなと、恵比寿が実は…春画です答えた。


須磨子もまろみも意味がわからず、きょとんとしている。弱ったなあと頭


をかきながら、恵比寿は照れたように、枕絵ですと言いなおした。


「あの、もしかして、それは…」須磨子はバタンと横に倒れ気を失った。


 くら子は、ぐったりした須磨子を抱え、まろみちゃん、母屋でお水をも


らって来て、とまろみを追い出した。


「こうなることがわかってたから、お祖父さんは押入れを開けるなと遺言


したのだろうな」


「そんな、のんきに」


「勘違いしちゃあいけないよ。これは犯罪でもなんでもないのだから。そ


れにこれほどのコレクションは滅多にお目にかかれない」


「それはそうですけど、須磨子さんにはショックですよ」


「とにかく、須磨子さんが落ち着いたら、話をしてみよう」


須磨子が水を飲んで落ち着いたところで、くら子は姿勢を正した。


「須磨子さん、びっくりなさったのもわかりますが、これでお祖父さまの


人格が貶められるということではないのですよ」


「しかし、くら子さん、こんな秘密が」と須磨子は押入れを指差した。


「誤解されるのを予想されていたのだと思います」


「かといって、捨てるに忍びなかったんじゃないかな」と恵比寿が付け加


えた。


「でも、これってエロ本じゃないですか」とまろみが反論した。


「エロ本とする人もいれば、芸術と捉える人もいる。それにお祖父さん


は、単なる趣味ではなく、研究をしておられたんだ。ノートを見てわかっ


たよ」と恵比寿は説明した。


 浮世絵が芸術として認められるようになったのは、例のごとく海外だっ


たこと。モネやゴッホが浮世絵に影響を受け、ジャポニズムと呼ばれて広


がりをみせた。それも、きちんとした形ではなく、日本から輸出した焼き


物の包装紙に使われていたものがきっかけだったという話もある。また、


鈴木春信や北斎など浮世絵師は皆、枕絵を描いていた。当時はそれが当た


り前だったし、娘が嫁入りする時に持たせたという話もある。


 おとなしく話を聞いていたまろみは、素っ頓狂な声をあげた。


「これって、もしかしたら、すごいお宝なんですか」


「貴重といえば、非常に貴重だよ。戦争で空襲もあったし、学問的な本な


らまだしも、今でいう雑誌みたいなもので、ほとんど残っていないだろ


う」


まろみはじろりと恵比寿を見た。


「まさか、恵比寿さんが引き取るとか」


「いや、うちは扱ってない、これは、研究者に寄付したほうがいいと思


う」


「あの、そんなことができるのでしょうか」須磨子がおずおずと訊いた。


「喜んで受け取ってくれるでしょう。これは江戸の風俗資料でもあります


からね。昔は美術界でも春画の研究者はつまはじきだったようですが、今


は時代が変わりつつあります」


 開かずの押入れの中身はT大学の教授が喜んでもらいうけた。須磨子


も、大学の先生が必要とされる資料ならばおかしなものではないと納得し


たようだった。


 後日、須磨子から礼状が届き、恵比寿さんに報告しないといけないわね


と二人が話しているところに恵比寿が現れた。「噂をすればなんとやら」


とまろみがおどけた。


「なに? また、ろくでもないこと言ってたな」


「違いますよ。須磨子さんからお礼状が届いたから」


「ということは、須磨子さんもわかってくれたようだな。気になってたか


ら事務所をのぞいてみたんだが」


 くら子は笑いをかみ殺しながら、恵比寿さんのお陰ですと頭を下げた。


「ところで、恵比寿さん、あの大学の先生って本物ですか」


 恵比寿は下を向いた。


「あ、いや、その、あいつは友達で、大学の万年研究員なんだ。名刺はそ


この研究室の教授のもの」


「やっぱり」とくら子とまろみは声を揃えた。


「善意のうそってやつ、丸く収まったから良しとしようじゃないか、ね


え、おふたりさん」


「また、そんなこと言って」


「しかし、なんだな、押入れの中に秘密を隠しておくのは考えものだな」


「恵比寿さんちの押入れだったら、何が入っていても驚きませんよ。ね


え、くら子さん」

 

 事務所に明るい笑いが広がった。

   




  


小説「開かずの押し入れ」はフィクション


ブログに実例 「開かずの扉」 (東京新聞こらむ)掲載




 







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