24  、仏壇に金塊

       息子のマンションに忍び込む母親の問題は息子ではなかった




 くら子が外出先から戻ると、事務所のドアの前でまろみが待っていた。


「どうしたの? まろみちゃん。立たされ坊主みたいじゃない」


 くら子を引っ張って、まろみは廊下の端へ移動した。


「それが、お客さんなのですけれど…」


「中で話せない事?」


「この前『わくわく片付け講座』を受講した島袋勝子さんのお友達なんで


すけどね」


「じれったいわねえ、なあに?」


「息子さんの部屋を一緒に片付けて欲しいから、息子さんに内緒でマンシ


ョンに忍び込むって」


「それはだめでしょう」


「何回も説明したんですけど、とうとう怒り出して、湯呑みを投げつけら


れて、責任者を出しなさいって」


「まだ、いらっしゃるんでしょ」


 まろみはドアを見て、唇をかみしめた。


くら子は室内に入ってあいさつし、お待たせしました、お話しを聞きまし


ょうとソファーに腰を下ろした。


 美崎七海子はハンカチを握りしめ、くら子をにらみつけた。


「息子さんのお部屋の片付けだそうですが」


七海子はぶっきらぼうに、そうですと答えた。


「どうして息子さんのお部屋を片付けたいと思われたのですか」


「母親なら当たり前でしょうが」


「息子さんはおいくつですか」


43ですと答えた七海子の声は心なしか小さくなった。


「息子さんは片付けを希望しておられるのでしょうか」


「きれいなほうがいいに決まってます」


「それはそうかもしれませんが、息子さんのお部屋ですから、息子さんが


どう思っておられるかが問題です」


「息子は残業や出張で殆どいないんです、だからわたしが」


「お母様のお気持ちはわかりましたが、一度息子さんとお話をさせていた


だけませんか」


「だから、言ってるでしょ。息子は忙しいんです」七海子は声を荒げた。


「お電話でお話しするくらいなら、お時間をいただけるのではないです


か」


「もう、わからない人ねえ、ダメだって言ってるでしょ」


 七海子は茶卓を取って、ばんばんとテーブルに打ち付けた。


「七海子さん、甘いものはお嫌いですか」


手を止めて、一瞬考え込んだ七海子は、いいえと答えた。


「まろみちゃん、お抹茶の用意と羊羹をお願いします」




 ポットと、お盆に薄茶を立てる用意をしたまろみは恐る恐る応接コーナ


ーに入った。


 くら子の茶筅さばきを見て、七海子の手が止まった。


「それではだめよ、貸してごらんなさい」


 用意した三つの抹茶茶碗に七海子はお茶をたてはじめた。羊羹を持って


きたまろみもくら子の隣に座った。


 シャカシャカと茶せんを振る音が静かな事務所に響く。


 どうぞと、くら子の前に茶碗が置かれた。


 いただきますと口をつけたくら子が、ああ、おいしいと漏らしたひと言


に、七海子はにっこりした。


 黒文字で羊羹を口に運ぶくら子に、茶碗を両手で包みこんだ七海子がご


めんなさいと言った。


「何がですか?」


「あなたたちに八つ当たりをして」


「わたしたちは気にしていませんよ。ねえ、まろみちゃん」


「はい、大丈夫です。湯呑みが飛んできたのもうまくよけられましたし」


「コントロールが悪かったわね。腕が鈍ったみたい」


 まろみがぷっと吹き出し、それを見て七海子も笑った。


 落ち着いた七海子はゆっくりと話し出した。


「実は、息子がわたしにマンションに来るなと申しまして、わたしが預


かっ


ていた鍵を取り上げたんです」


くら子がゆっくりうなずくと、七海子は続けた。


「週に一度、部屋の掃除をしに行っていたのですが…息子あての宅配便の


中身を見たり、いろいろしたもので」


「いろいろとは?」


「つきあっている女性がいるようなので、その人がどういう人か興信所を


使って調べました」


そりゃあ息子さんが怒るのも無理はないと、まろみは思った。


「相手の女はバツイチの2人の子持ちで、スーパーでパートをしている人な


んです。親が申すのもなんですが、息子の雄一は一流大学を出て一部上場


企業に勤めております。それも初婚です。それなのに、どうして、子持ち


のバツイチ女とつきあわなければいけないのでしょうか。だから、わたし


が直接その女に会って、息子と別れて欲しいと言いました。いくらでも若


いお嬢さんをもらうことができるのに…。女は、わたしたちのことはわた


したちで決めますと言いました。その後、息子が余計なことはするなと怒


って、わたしからマンションの鍵を取り上げ、スマホの番号も変えてしま


いました。会社に電話してもわたしからの電話には出ないのです」

立ち入ったことを伺いますが、子どもさんはおひとりで?」


「そうです。ひとり息子で、主人は、主人は」七海子はぽろぽろと涙を流


し嗚咽した。




 七海子の夫は、定年になった翌日、夫としての責任は果たしたので、離


婚したいと家を出て行った。


七海子は離婚届に意地でも印を押さないと宣言した。熟年離婚といえば、


妻からの申し出が多いが、この場合は違った。


 夫は現在、元部下だった女性と2人でマンションで暮らしている。


夫もひとり息子で、長年同居していた義父母の介護をして看取ったのは七


海子である。ようやく介護から解放されたので夫婦2人ののんびりした時間


を持てると思っていたのに、夢は崩れた。


 くら子は、七海子が息子に執着したのも無理はないと思った。


長年家事と介護に明け暮れてきたのに、ねぎらいの言葉もなく、夫は出て


行った。きっと数え切れないほどの修羅場があったのであろう。


広い家にひとり残された七海子にはすることがなくなり、エネルギーは息


子に向けられた。夫婦の問題は他人にどちらが悪いといえるものではない


し、また口をはさむことでもない。何と言えばいいかと逡巡しているくら


子におかまいなしに、まろみが口をはさんだ。


「七海子さんも彼氏を見つければいいんです」


まろみちゃんと言いかけて、くら子は口をつぐんだ。


「今、なんとおっしゃいましたの?」と腫れた赤い目で七海子はまろみに


聞いた。次にバッグの中をごそごそとかき回し、紫のフレームの遠近両用


めがねを取りだし、鼻の上にめがねを載せ、顎を突き出してまじまじとま


ろみの顔を見た。




「だから、息子さんのことはほっといて、七海子さんも恋人を作ればいい


んです」


まろみは事もなげに言い放ち、にっこりした。


「コ・イ・ビ・ト」


七海子はヒンドゥ語でも聞かされたような顔をしている。


「まろみちゃんは七海子さんがまだお若いから、もう一度やり直されては


どうかと…」


くら子が補足すると、七海子はもう一度繰り返した。コイビト。


 「ムスコ」というキーワードしかなかった七海子の脳に「コイビト・カ


レシ」という言葉がしっかりインプットされたのが2人にはわかった。


 果たして、まろみの提案が吉と出るか凶と出るか、くら子は複雑な思い


で七海子を見つめた。


 七海子は握りしめた両手を見つめてじっと考え込んでいる。


事務所の時計の音だけがこちこちと時を刻み、窓からの白い光が七海子の


横顔を照らした。


突然、顔をあげた七海子はきっぱりと言った。


「勝子さんが参加された『わくわく片付け講座』の案内を見せてもらえま


すか」


 ほっとした二人は顔を見合わせた。


「まろみちゃん、講座のチラシを持ってきて」


は、はいと、まろみは慌てて立ち上がった。


 講座の案内をじっと見つめていた七海子は聞いた。


「あの、このオプションのパーソナルカラーやメイク講座は具体的に、ど


の色が似合うとか、メイクの仕方とかを教えていただけるのですね」


「はい、ですから、一度にたくさんの方には受講していただけませんが」


「こちらを紹介してくださった勝子さんもアドバイスを受けられたのです


ね」


はい、そうですとくら子は頷いた。


 七海子はまた唇を結んで、じっと考え込んだ。


「実は、夫の荷物もそのままですし、義父母の荷物も片付いていません


の。これを機会に片付けようと思いますので、そのために『わくわく片付


け講座』を受けたいと思います」


「わかりました。申込書をお渡しします。それで、息子さんの件は…」


「ああ、そうでした。まろみさんに言われたように、あんなバカ息子は、


ほっときます」


 ホホホホと屈託なく笑う七海子の顔から、先ほどの険は消えていた。


 七海子を見送ると、くら子とまろみは、疲れたーとソファにへたりこん


だ。




「まろみちゃんがコイビトなんて言うから、冷や汗かいたわよ」


「わたしも言ってから、しまったと思ったんです。また茶碗が飛ぶんじゃ


ないかと」


くら子は抹茶茶碗がUFOのように飛ぶところを想像して、ふふふと笑っ


た。


「頭のいい方だから、冷静になったら、息子さんを自分の思い通りにはで


きないってわかったのかも」


「これで一件落着でしょうか」


「そうなって欲しいものだわ」


 七海子は『わくわく片付け講座』を受講しながら、正式に夫、孝雄との


離婚を決め、残っていた孝雄の荷物を全部マンションへ送りつけた。


 荷物を送られた孝雄は仕方なく、マンションに収まらない荷物をトラン


クルームに預けた。


 次に七海子は義父母の2トントラック2台分の遺品も夫に送った。


箪笥からアルバム・衣類まで、片方しかない足袋さえも、何一つ処分する


ことなく箱に詰め込んだ結果がこれである。また、七海子は後からもめて


は困るということで、引っ越し業者に全ての遺品のリストを作らせるとい


う念の入れようだった。


 離婚の条件として預金の分割と、慰謝料代わりに夫名義の家を七海子の


名義にしたので、義父母の遺品を夫が引き取るのは当然のことだと七海子


は主張した。


 困った孝雄は、知り合いの会社の倉庫に両親の遺品を預けた。


 この中には、梱包された仏壇と両親の位牌も含まれていたことを孝雄は


知らなかったし、仏壇のことなど顧みもしなかった。


 七海子がすっきりした家で暮らし始めたところへ、義父の妹の昌代が近


くに寄ったから、兄さんにお線香をあげたいと訪れた。


 離婚の話を聞かされた昌代は驚き、兄の仏壇がなくなったことに真っ赤


になって怒った。


「あなたたち夫婦が離婚するのは勝手だけど、何もお仏壇まで…」


「わたしはもう美崎家の人間ではありませんので、美崎家のお仏壇は孝雄


さんに守ってもらわないと」


「そりゃあそうだけど、遺品だって、形見分けもしてもらってないしね。


わたしは兄さんの大島紬と翡翠の根付をもらうはずだったんだけど、葬儀


の後に何も連絡がなかったものだから」


 昌代の皮肉に七海子は、実の兄に介護が必要な時には近寄りもしなかっ


たくせに、今さら形見分けがなかったという勝手な言い分に腹が立った。


「何もかも孝雄さんに送りましたから、あちらにあると思いますので、お


好きなものをお持ちになればよろしいかと」


 つっけんどんな七海子の言葉に昌代は勢いを失った。


「ところで、お仏壇の中のあれはどうしたの?」


「はあ? なんでしょう」


「だから、あれよ。兄さんから聞いてないの?」


「何のお話だかよくわかりませんが」


「もう、しらばっくれて、兄さんの金塊よ。たぶん200gはあったわね」


「そんなもの見たことありませんよ」


「お仏壇の引き出しの奥の、隠し引き出しに入ってたの!」


 昌代が孝雄に電話すると、仏壇まであの荷物に入ってるとは知らなかっ


たと、あわてて倉庫に急いだ。


 昌代と七海子も、仏壇が倉庫に放置されていると聞き、タクシーで向か


った。




 孝雄の顔を見るなり、昌代が怒鳴った。


「孝雄ちゃん、あんたいい年して若い女に血迷って、ご先祖の仏壇をこん


なところにうっちゃって、罰があたるよ。ほんとに、わたしの目の黒いう


ちにこんなことが…兄さんやご先祖様に申し訳ない」


「いや、それは。マンションに荷物を置くスペースがなくて…まさか仏壇


まで…」


孝雄はうらみがましい目で七海子を見た。


「それは言いがかりです。離婚した私が美崎家のお仏壇を守っていける訳


ないじゃないですか」


「夫婦喧嘩はあとにして、お仏壇を探さなくては」と昌代が中に入った。


 もう、夫婦じゃありませんと顔をそむけて、七海子も遺品の山に目をや


った。


 2時間後。倉庫の2人の警備員の力を借りて、仏壇を探し当てた3人の息


は上がっていた。


 ほんとに、わたしまでなんでこんなことしなきゃいけないのかとぼやく


昌代の横で、わたしだってと七海子が孝雄をにらみつけた。


「おばさん、ほんとに金塊が入ってたんですね」と孝雄が念を押した。


「いや、わたしは見たことはないけど、法事の時に兄さんが酔っ払って口


をすべらしたのよ」


 仏壇の引き出しの奥の隠し引き出しには、古びた小さな桐の箱が入って


いた。


「これは金塊ではないだろう」


額の汗をふきながら、孝雄は桐箱を手に取り、そっと開けた。


黄ばんだ真綿に包まれた干からびた茶色い塊。


「俺のへその緒だ」


 昌代と七海子はへなへなとその場にへたりこんだ。


「一体なんだって親父はこんなものを…」


 七海子が、アハハハと甲高い笑い声をあげた。


 金塊ではなかったのねと昌代が力なく仏壇の暗い穴をのぞきこんだ。


「おばさんが余計なことを言うから…」


 孝雄の非難にちょっと待ってと、昌代は壁にすがり、どっこいしょと立


ち上がった。


 腕を組んで考え込んだ昌代がわかったと手を打った。


「なにがわかったんですか」


 ふてくされている孝雄に昌代は説いた。


「へその緒は兄さんたちの一番大事な物だったのよ」


 えっという顔で昌代を見る孝雄に、昌代は諭すように言葉を継いだ。


「孝雄ちゃんが一番大事な宝物だったのよ。へその緒はその証。兄さんた


ちはなかなか子どもができなくて、結婚して10年、2人とも諦めていた頃


に授かったのがあんたよ。そして、美崎の血をつないでくれる跡取りだか


ら。そんな親の気持ちも知らずに…」


 黙って聞いていた七海子も、わたしもそう思うと口を添えた。


 袖で目をぬぐった孝雄は、お仏壇は持って帰りますと仏壇に向かって手


を合わせた。


「そうしてちょうだい。それからこの遺品の山はどうするの?」


「これもわたしがきちんと片付けます」


「あ、そう、それで、兄さんの大島紬とヒスイの根付は形見分けにわたし


にちょうだいね」


「なんでもお好きなものをどうぞ」と答えた孝雄は七海子の前に進んだ。


「七海子も長い間親父とおふくろの面倒を見てくれたのだから、欲しいも


のがあれば…いや…すまなかった」


 孝雄は深々と頭を下げた。


「わたしはそのひとことで充分です。来年の春には雄一が結婚式を挙げま


す。ついでに孫も2人できますからおじいちゃんですよ。新郎の父親として


あいさつをしてやってください。私のお願いはそれだけです」


  





この話の元のタイトルは、「息子の部屋に忍び込む」でした。


見なおしているうちに、タイトルを変えようと思いました。





 







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